みなさん、モノポリーというボードゲームをご存じだろうか。
不動産を使ってお金を稼ぐゲームで、たとえばサイコロが3で「横浜」のマスに止まれば、横浜を買える。以降他のプレイヤーが横浜に止まったら、横浜の所有者にレンタル料を払う。これが基本ルールだ。
ここからさらに、「同じ色の土地をすべて買って家を建てればレンタル料が上がる」「所有している土地はトレード可」「土地を担保にお金を借りられる」などのルールが加わる。
今回はそのモノポリーを通じて、「お金を稼ぐうえで絶対にやってはいけないこと」を学んだので、それについて書いていきたい。
わたしが初めてモノポリーをプレイしたのは、ドイツ留学中に友だちの家に行ったときだ。
友だちがルールを説明してくれたが、ノンネイティブのわたしにとって、ドイツ語のボードゲームはなかなか難しい。
「生命保険が満期になったので〇〇ユーロ受け取る」「所得税の払戻金として〇〇ユーロ受け取る」といった特殊カードの内容がちんぷんかんぷん。
友だちが毎回、「こういう意味でね……」と説明してくれるおかげで、なんとかついていけた感じだ。
だがあるとき、一緒にプレイしていたAさんが、わたしをカモにしようとしていることに気が付いた。
そのときプレイしていたモノポリーはデュッセルドルフ版で、デュッセルドルフに実在する通りの名前が使われている。
わたし以外の3人はデュッセルドルフ出身だからなじみ深いが、わたしは通りの名前がピンと来なくて、自分が所有している土地をいまいち把握できていなかった。
それでも「Königsalleは君が持ってるね。はい、レンタル料」と、友人たちが自発的にお金を払ってくれる。
しかしAさんは、わたしがAさんに直接「土地をもっているから〇〇ユーロ払って」と言わない限り、決してレンタル料を払おうとしない。自分が払うべきだとわかっていても、土地の所有者であるわたしが気付いていなければ黙っておくのだ。
うーん、なんだかなぁ……。
そうモヤモヤしていたなか、決定的なことがあった。
特殊カードを引いて、わたしが左隣の人から多額のお金をもらえることになったとき。当のわたしはそのカードの意味がわかっておらず、左隣の友だちが説明してくれた。
その様子を見たAさんが、こう言ったのだ。
「黙っていればこの子はわからないのに、説明してわざわざ大金を払うなんてバカ正直だね」と。
ルール的には、レンタル料を請求し忘れたほうが悪いし、カードの内容を理解できないのは自己責任。
でも言っちゃなんだけど、たかが友だち同士でプレイするボードゲームだよ? 言語的ハンデがある友だちをカモにしてなにが楽しいの?
Aさんの「自分さえよければ他人がどうなろうが知ったこっちゃない」という態度は、プレイの端々にあらわれていた。
たとえば、ゲーム中に交渉が発生することがある。
「君、横浜ほしいでしょ? 自分は君が持ってる日光がほしいからトレードしない?」
「日光を取ったら、君は色がそろって家を建てられる。それなら横浜と飛騨もセットにしてくれないと釣り合わない」
「えぇ~! 飛騨はちょっとふっかけすぎじゃないか?」
のように。
でもモノポリー初心者のわたしは、トレードの相場がまったくわからない。
だからわたしがトレードする際、友だちが公平な視点でアドバイスをくれていた。
が、Aさんはちがう。
わたしにはもちろん、それ以外のプレイヤーに対しても、自分が有利になるトレードしか絶対に受けない。
また、だれかがお金を払えず破産した場合、その人がプレイを続けられるよう、あえて不利な条件でトレードを持ちかけたり、必要ない土地を高めに買ってあげたり、救済することがあった。そうしないと、その人はゲームから脱落してしまうから。
でもAさんは、絶対に助けない。
「そんな土地はいらない。レンタル料を払えないならあなたの負け」と言うのだ。
大会や全員がモノポリー上級者ならともかく、気楽に仲間内でプレイしているなか、「自分がよければそれでいい」というAさんの行動はかなり浮いていた。
率直に言えば、ドン引きだ。
結果的に、Aさんが破産しそうでもだれも手を差し伸べないし、なんならその後はAさんを誘わなくなった。当然である。
「損をしたくない」「利益がほしい」
そう考えるのは当たり前だし、わたしだってそう思う。
でも「そのために他人に損をさせてもいい」となれば、話は別だ。
たいていの人は、「他人に損をさせて利益を得るのは悪いことだ」という倫理観を持っている。だから他人の足を引っ張ってまで得をしようとは思わないし、Aさんのような言動に眉をしかめる。
ではなぜそれが悪いことなのか?
その理由は単純で、他人の利益を奪えばかんたんに儲けられるからだ。
強盗して他人のお金を奪えば、手っ取り早くお金が手に入る。オレオレ詐欺でお年寄りから巻き上げれば、これまたすぐにまとまったお金が得られる。
でもみんながそれをしてしまったら、誰も他人を信頼できず、自分のお金を守り他人から奪うことだけを考える地獄になってしまう。弱い人はひたすら搾取され、暴力や悪知恵を使う人だけが得をするだろう。
だからそうならないように、多くのルールや法律で規制・禁止されているのだ。
たとえルールで禁止されていなくても、一般的に、「他人の利益を奪うこと」はタブーとされる。
モノポリーの例でいえば、レンタル料を請求するのは土地を持っている人だから、所有者が気付かないのは自己責任であり、黙っておいて払わずに済ますのはルール上問題ない。
でもそれは本来わたしが手にするべき利益であり、Aさんが支払うべきお金だ。
それを意図的に払わずに「他人の利益を損なう行為」は、やっぱり褒められたものではない。
だれもが「儲けたい」と思うからこそ、他人から奪ってはいけないのだ。それを認めたら、奪い合いになってしまうから。
「奪うに益なし譲るに益あり」という言葉がある。
薪を背負いながら勉強する銅像でおなじみの二宮金次郎によるもので、湯船の教訓とセットで有名だ。
湯船で湯を自分のものにしようとかき寄せれば、流れは向こうへいってしまう。でも相手に譲るように湯を押し出せば、湯は流れて自分へと戻ってくる。
奪おうとしても得はしないが、譲れば利益を得られる、という意味である。
そもそも、自分だけが得するならかんたんなのだ。
他人の利益を奪い、ライバルを潰して、弱い人から巻き上げればいいのだから。
でもそのやり方では、まわりからの信頼や社会的信用を失う。ルールに違反していたら、罰せられることだってある。
そういったやり方は短期的には儲けられるかもしれないが、長期的に成功することは難しい。
「バレなきゃ大丈夫だと思った」「欲に負けた」なんて理由でタブーを犯して利益を得て、結果的に破滅する人はめずらしくない。
逆に、湯船の教訓のように、「だれかのために」「お役に立てれば」と与えることを考えていれば、それが自分に返ってくる。
モノポリーの話でいえば、Aさんは破産しそうでもだれにも助けてもらえず、その後誘われなくなった。
でもBさんが破産しそうなとき、いろいろ説明してもらっていた恩があるわたしはできるかぎり助けたし、かわりにわたしがピンチのときはBさんが助言してくれた。
利益を得たいのなら、あくまでルールのなかで正々堂々と。
他人から奪わずに、自分の努力や工夫や助け合いで生み出すべきなのだ。
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