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高収入は本当に人を幸せにするのか?40代独身のわたしが見つけた「身の丈」の話
高収入は本当に人を幸せにするのか?40代独身のわたしが見つけた「身の丈」の話

高収入は本当に人を幸せにするのか?40代独身のわたしが見つけた「身の丈」の話

2023/08/31・提供元:清水沙矢香

筆者が在京テレビ局を辞めたのは、数年前のことです。

退職に至るまでにはさまざまなことがありましたが、フリーランスになった今、サラリーマン時代とはだいぶ異なる生活をしています。


まず、収入は半分ほどになりました。

一方で、時間の使い方の自由度はかなり大きくなりました。


しかし独立したての頃にやらかしてしまい、困ったことがひとつあります。

困り事を生んだ最大の理由は、「人はそう簡単には変われない」ことだと思っています。



「おまえはサラリーマンには向かないよ」

筆者がTBSに入社したのは2002年で、そこからほとんどの時期を報道局で過ごしました。


最初の配属は社会部です。事件・事故は待ってくれませんし予定表にも書けませんから、特に若い頃は24時間365日体制で仕事と向き合わなければなりません。

大事件・大事故・大災害があれば即出社できるように、これは当時の慣習かと思いますが会社に30分でたどり着ける場所に住むのが好ましいと聞いて都心に住んでいました。


特にハードだったのは警視庁担当記者だったときです。


上司から「週に1日は休むように」と言われて、ああ優しいところもあるのだなあと思ったものですが、冷静に考えれば週休2日のこの社会の中ではおかしなものです。

しかし完全に休暇、という日はそうありませんでした。


捜査員と仲良くなるために早朝からゴルフに出かけることがしばしばです。


完全に自分の時間だけで休暇を取れる時は寝て過ごすか、あるいはストレス発散のために銀座に出て買い物をしまくるという日々です。


放送局は給与が高いことで知られていますが、むしろ残業代のほうがかなり大きく、20代にして1,000万円の収入がありました。

しかしこの生活に決定的に欠けているものがあります。「時間」です。


「金はあっても暇はない」。


そう言ってみたいものだ、と思う方もいらっしゃるかもしれませんが、筆者には馴染みませんでした。


もちろんこんな生活が在職中ずっと続いたわけではありません。週休2日、8時間勤務という部署にいたこともあります。しかし会社員生活は続きませんでした。心身ともに疲弊してしまったのです。


昔言われたことを思い出しました。

「おまえはサラリーマンには向かないよ」。

それを証明するのに15年間もかかってしまいました。39歳になっていました。


気がつけば困った事態に

退職して1〜2年はほとんど無職状態でした。せっかくの人生の夏休みだからと思い、適当に生活していました。そこそこの退職金をもらっていたので生活は窮屈ではありませんでしたが、もちろんずっとそのままでいられるわけがありません。


そこで選んだのが今のフリーライターという仕事です。

なるべくマイペースで、かつ自分の得意なことをしていたいと考えました。


若い頃に買い漁ったブランド品も全て売り払いました。使う場所がないからです。

そしてライターの仕事が軌道に乗り始めた時、新しい社会人生活を始めようと郊外に引っ越しました。もう突然の呼び出しもありませんし、それ以上に、通勤先そのものがありませんから、都心で高い家賃を払い続ける必要もありません。


沖縄に移住しても良いくらいです。

しかし、それはやめておきました。

というのは、趣味の音楽仲間がこちらにはたくさんいます。それを全て捨ててしまっては、何のために働くのか生きているのか、わからなくなってしまうからです。


そうやって新しい生活の形を築き、身の丈に合うようにと変えていったのですが、気がつくと困ったことになっていました。

貯金がだいぶ減っていたのです。困ったというか、退職金があれほどあったはずなのに、と不安になりました。

今自分の身に大きなことが起きなくて助かっているくらいです。


生活が変わっても、自分が変わっていなかった

こうなった理由のひとつはもちろん、筆者の計画性のなさです。

そもそも会社を辞めて、何年までにはいくらくらい稼げるような仕事に就いていよう、という考えがありませんでした。


しかしもっと大きいのは、自分が変わるのに時間がかかった、ということです。

収入がまったくない無職の時期でも、行きつけのバーにそれまでと同じように頻繁に足を運び、すぐにタクシーを使いたがるのです。また、服やブランド品は買わなくなったものの、今度は欲しい楽器を見つけると、深く考えることなく手を付けるようになっていました。


高い収入があった時代と似たような感覚の生活を続けていたわけです。

これでは、出ていく一方にも程があるというものです。


独身ですから、ほぼ全てが自分の可処分所得です。欲しい時に欲しいものを買い、食べたい時に食べたいものを食べる。ローンだって組める。そうやって好きに生活して財布が疲れてきた頃には賞与で補われるという環境にいました。


しかし当然、個人事業主には賞与という概念はありません。「多少はあとで何とかなるだろう」という考えは通用しません。宝くじや懸賞を当てる以外、ないものはないのです。


空気を読まないことの大切さ

「ないものはない」。

それに気づくのが遅かったのは単なる筆者の平和ボケですが、立ち行かなくなる前に気づいたのは不幸中の幸いかもしれません。


しかし、あるものはあります。自由度です。


一昨年あたりから、筆者は冬場に「漢方鍋」で温まることが気に入っています。何時間もかけて一からスープを煮出すというのは、家を空ける生活の中では難しいことですが、鍋を火にかけながら隣で仕事をし、時折様子を見にいく。

せっかくならば、おでんも一から作ってみようかと、牛すじ肉を何時間もかけて灰汁取りし、大根はしっかりと下茹でし、出汁も昆布と鰹で取る。会社勤めをしていると、こういうことができるのは休日に限られますが、今は「今日やろう」と思った日にできるのは楽しいものです。


また、対人関係が最小限になりました。

これについては良い側面だけではなく、「気がついたらこの1週間、スーパーの店員さんに『レジ袋はいりますか?』『いりません』というやりとり以外で声を発していない!」ということに気がついて危機を感じたこともありましたが。


ただ、仕事中に集中力が落ちれば自分のベッドで仮眠を取ることができますし、人目を気にせず一服できます。今時は「タバコ休憩に行く喫煙者はずるい」という声もあると聞きますが、そのようなこととは全く無縁です。

自分宛ではない電話に出なくても良い(そもそも鳴らない)というのも大きな利点です。

これらの「ちょっとしたこと」が全てなくなると、仕事にのみ集中できる環境に激変します。すると、時期にもよりますが、1日4時間だけ集中していれば良い、という日も時々出てきます。


確かに会社員時代は、拘束時間イコール集中して仕事をしている時間、ではありませんでした。「待つ」だけの時間や「なんとなく社内にいなければならない空気」のために座っていただけという時間もけっこうあったものです。

1日の中ではそのような時間の長さを感じることはないかもしれませんが、積み重なると、筆者の中では新しい曲をひとつ書けるくらいにはなっているのです。


そして筆者の大きな気づきは「休日」とは何か?ということです。

今の筆者にとって「休日」とは、必要なものを買いに行かなければならない、美容院に行かなければならない、趣味で出かけなければならない、それすらない日だと考えています。

「何もしない」をする。それが真の休日のような気がしています。


身の丈を自分で決めるということ

もちろん人の価値観は多様ですし、ひとりで独立して仕事をすることは楽ばかりではありません。「絶対的な締め切り」は存在しますから、休む自由はありますが、どこかで「本当に休んで大丈夫かな」と思ったり、なにかコラムのネタになるものはないかな、と考えたりしているものです(それすらしない日を作ることには慣れてきましたが)。


もちろん、もっと積極的に仕事を探して量を増やせば、その分収入にも反映されます。もっとお金が欲しいと思えばアルバイトだってできます。


しかし今の筆者は、今の「身の丈」がフィットしているように感じています。もちろん考えが変われば仕事の量を増やしていく努力もするでしょう。

「自営は不安定」というのはある程度は事実です。それを受け入れながら、しかしその都度自分の身の丈を知ることの大切さを筆者は感じています。


筆者は今のところ会社員に戻る予定はありませんが、自分の生活の形や将来設計を定期的に見直していくことの重要さを学んだと感じています。


清水 沙矢香
しみず・さやか

2002年京都大学理学部卒業後、TBSに主に報道記者として勤務。社会部記者として事件・事故、テクノロジー、経済部記者として各種市場・産業など幅広く取材、その後フリー。

取材経験や各種統計の分析を元に多数メディアに寄稿中。


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