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「サラリーマンは出世しないとキツいよ」と、ある経営者に言われた時の思い出
「サラリーマンは出世しないとキツいよ」と、ある経営者に言われた時の思い出

「サラリーマンは出世しないとキツいよ」と、ある経営者に言われた時の思い出

2023/09/10・提供元:安達裕哉

まだ私が駆け出しだった、20代の終わりの、若かりし時の話です。

コンサルタントとして、ある会社を訪問して仕事を終えた後、雑談中に社長にこんなことを言われました。


「安達さんは、今の会社でどこまで出世したいの?」と。


社長の意図としては、出世に対する20代の若手の意識を知りたかったようなのですが、当時の私は、改めて「出世」という行為に対して聞かれることは少なかったため、よく考えずに発言してしまいました。


「正直なところ、あまりイメージもわきませんし、今のところ積極的に出世したいとは思いません。」


社長は言いました。

「ほうほう、なぜですか?」


「うまく言えないのですが……、出世するとしがらみが増えそうですし、出世のためにいろいろと私生活が犠牲になるのも何か違うな、と思いましたので。」


すると、社長はうなずいて言いました。


「そうだねえ、ま、これは人の価値観なのでとやかく言うつもりはないけど……でも、安達さんはちょっと誤解しているよ。率直に言うと、サラリーマンは出世しないとキツいよー


正直なところ、その発言は経営者のポジショントークにしか聞こえませんでした。

経営者としては、社員が出世を目指し、仕事にまい進してくれた方が、都合がいいですからね。


しかし、その経営者は何の根拠もなく、そうした発言をするような人ではありませんでした。彼がポジショントークをするにせよ、何かしらの理由があるのです。


ですから私は、興味を惹かれました。


「なぜ出世しないとキツイのですか?」


「だって、サラリーマンが、お金と自由を両方手に入れるには、出世するのが一番早いからですよ。」


私は、自分の「出世」に対するイメージと正反対のことを言われた気がしました。


「私の出世に対する認識と、反対なのですが」

「そうかもね、でもちょっと考えてみなよ。世の中の社長は自由そうに見えない?」


それはそうかも、と思いましたが、疑問も残ります。


「お金はともかく、自由なのは社長だからでは?」

「いや、実際は管理職も役員も、出世すればするほど、自由なんだよ。意思決定できる裁量が、会社から与えられるからね。


「裁量…とは?」


「結局、サラリーマンの何がキツイのか、というと上役の顔色をうかがったり、エラい人の機嫌を取ったり、自分では何一つ自由に決められなかったり。そういうのが大変なんだよ。

でも、出世して権限が与えられると、自分で決められる範囲がどんどん大きくなる、というかむしろ、決めるのが仕事になる。

確かに「決めるのが苦手」っていう人は、出世しない方がいいと思うけど、ほとんどの場合は「皆の意見を調整して、上司に確認したあと、やっとやりたいことができる」っていうほうが大変でしょう?」


確かに、その経営者のいう事に矛盾はありませんでした。一般に思われている「出世するとがんじがらめになる」という話よりも「出世すればするほど、自由になる」のほうが正しいようでした。


その経営者は、言いました。


「もちろん、ほんとうに自由にやりたいなら、独立するのが一番いい。だけど、全ての人が独立を志向するわけじゃない。会社員という枠組みのなかで、お金と自由を両方手に入れようと思ったら、出世するのが最も近道だよ。」



その後、多くの会社を見るにつれ、私もその経営者の言っていたことに、徐々に腹落ちするようになりました。


もちろん例外もあるでしょう。

例えば一切権限移譲せず、マイクロマネジメントを行うワンマン社長の会社では、いくら出世しても、「自由」にはなりません。

また偉くなったとしても「100%自分で決める」ことも組織ではあまりないでしょう。


しかし、一般的な会社員の仕事における「自由の無さ」に比べれば、それも幾分かマシであるように思います。

確かに出世すればするほど、「自由」と「お金」が両方、手に入るようになるのです。


結局、組織ではトップ一人でできることなど、高が知れていますから、会社を大きくするためには、どうしても下の人間に仕事を任せる必要があります。


権限を委譲するという事は、「決定の権限」を移譲することでもあるのです。



では私は、いったいなぜ新人の時に「出世しないほうがいい」という考え方に陥ってしまっていたのでしょうか。


一つは「出世」に対する、妬みや僻み、あるいはあきらめがあったかもしれません。

いわゆる「酸っぱい葡萄」というやつです。


狐が木になっている美しい葡萄を見つけ、それを食べようと試みました。しかし、どれだけジャンプしても葡萄の房には手が届きませんでした。狐は何度も何度も試みましたが、成功することはできませんでした。最終的に、狐は諦めて歩き去りましたが、そのとき彼は「その葡萄は酸っぱいに違いない」と言って自分を慰めました。



結局、私は「欲しいのに手に入れることができないもの」を軽蔑し、達成できなかった理由を正当化するために、その価値を下げていただけかもしれません。

「出世すると、ツラいぞ」と。


もう一つは、実際に「人の上に立つのが苦手そうな人」が管理職をやっているのを見たからかもしれません。


「部下の顔色をうかがって過ごす」ような管理職は、平社員よりもツラそうだったのです。

具体的には、

  • どんな人にも嫌われたくない
  • 部下に好かれたい
  • 八方美人を貫きたい

こういう人は、「決定を下さねばならない」立場である管理職や経営者となるのは厳しいでしょう。

というのも、何かしらの決定を下す際には、必ずその反対の意見を持つ人が組織には数多くいるからです。


しかし考えてみれば「自由」とは、自分が好きなようにする代わりに、その責任をすべて引き受けることにほかなりません。

ですから、「自由」を手にする代償は、「嫌われること」です。

事実、会社で一番嫌われているのは、一番自由な、社長ではないでしょうか。


精神科医だった、アルフレッド・アドラーの思想について書かれた「嫌われる勇気」*1では、「自由とは、他者から嫌われることだ」とストレートに定義しています。



私が見聞きしてきた最もみじめな会社員生活は、40、50にもなって、上の人間に文句を言いながら、同僚や部下たちにマウントを取り、出世できなかった言い訳を繰り返すような毎日を送ることでした。


だったら最初から「私は出世したい」と素直に考え、そのためにやるべきことをやるほうが、後悔は少ないに違いないのです。


冒頭の社長に「出世できないとサラリーマンはツラいよ」とはっきり言われなかったら、私は自分をごまかし続けていたかもしれません


あの時にはっきり言っていただいて、本当によかった。

今でもそう思います。


出典
*1ダイヤモンド社 岸見一郎 古賀史健「嫌われる勇気」


安達 裕哉
あだち ゆうや

1975年生まれ。デロイト トーマツ コンサルティング(現アビームコンサルティング)に入社後、品質マネジメント、人事などの分野でコンサルティングに従事。その後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサルティング部門の立ち上げに参画。
大阪支社長、東京支社長を歴任したのちに独立。現在はマーケティング会社「ティネクト株式会社」の経営者として、コンサルティング、webメディアの運営支援、記事執筆などを行う。



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