「億り人になったせいで人生なんにも楽しくない」
この言葉を聞いたわたしは、思わず「贅沢言ってんじゃねぇ!」と言いそうになったが、冷静に話を聞いてみると意外と深刻な悩みだった。
遠い目をして溜息をつく目の前の友人は、数年前の仮想通貨ブームで大当たりし、巷でいうところの億り人となった。意図したわけではないが、結果的にFIREしたようなものである。
いやぁすごいなぁ。今後ずっと自由に遊べるなんて、うらやましいかぎりだ。
しかし彼が発しているのは、FIREして悠々自適に暮らすリア充オーラではなく、億り人になったことで絶望している負のオーラ。いったいなぜ?
億り人になった彼は、まわりには言わず、その後も仕事を続けていたそうだ。中小企業の営業で、満員電車に揺られて通勤し、平均的な給料をもらう、ごくごく普通のサラリーマン。
しかし口座には億を越えるお金があるわけだから、「こんな給料じゃなぁ」とすっかりモチベーションを失い、数か月後に退職。
とはいえまだ20代だったので労働意欲は高く、起業を考えた。
社会貢献できる企業か、自分が好きなことをメインに据えた企業か……いろいろ想像してみたが、結局「リスクを犯して起業する必要もないな」という結論に。
なにもしないのもヒマだし、多少の収入は欲しいから、もう一度働こうか。
いやでも、やる気が出ないなぁ……。
最近の物価上昇で経済的な心配も出てきたが、今更働くのも面倒で重い腰が上がらない。
婚活の一環で街コンにも行ったが、肩書は「無職」。FIREのことを話してカネ目当ての人に絡まれるのも面倒くさい。
30歳にもなると、まわりは少しずつ結婚しはじめて、子どもが生まれたなんて話も聞くようになった。企業勤めの友人たちは後輩の面倒を見たり、転職でキャリアアップしている。
自分はいったいこの数年間、何をやっていたんだろう。
少しずつ減っていく口座残高を見て、溜息をつく。
なにかをするモチベーションもなく、かといって仕事から解放されてやりたいこともなく、なんとなく毎日ダラダラして数年経ってしまったそうだ。
その結果が、「億り人になったせいで人生なんにも楽しくない」という発言である 。
この記事を書くにあたって、わたしは改めてFIREに関する本を10冊ほど読んでみた。
そこで抱いたのは、強烈な違和感だ。
どの本も、FIREの定義からはじまり、必要金額の計算方法(4%ルール)、おすすめの投資、支出を押さえるコツなどの細かい説明が続き、ゴールは「目標金額の貯蓄達成」。
そこで、終わり。
その後に関しては、「お金に縛られずに自由に生きる」「家族との時間や趣味を大切に」「好きなことをして幸せに暮らそう」など、意識高い系が好きそうな抽象的なイメージのみ。
なんだこのアンバランスさは。FIREノウハウは詳細なのに、達成後の生活への言及となると、小学生の将来の夢レベルでふわっとしているじゃないか。
35歳でFIREを達成したとして、老後まで残り35年。FIREしてからのほうが圧倒的に長い人生になるわけだが、いったいみんな、なにをしているのだろう? FIREで労働から解放されて、その代わりに何をするんだろう?
それが一番大切なんじゃないのか?
いつ、なにをしてもいい。なにもしなくてもいい。
そうなると人は怠惰になり、いずれ暇を持て余す。
「何もしなくていい自由」は、高確率で「退屈」だ 。
家族のための時間とはいっても、たいていの家族は働いていたり学校に行っていたりする。
小学生以下の子どもがいるとか、年金生活している両親と同居とか、そういうケースでなければ、日中は家にひとりきり。
趣味に没頭といっても、わたしはゲームが好きだが数時間もやればさすがに飽きるし、犬とのハイキングも毎日は疲れる。
パン作りだって土日だけで十分楽しめているし、読書は寝る前にちゃんと時間を取れているし……。
転職前に有給休暇消化で丸々一か月休んだ夫は、最初は元気にドライブに行ったり家を片付けたりしていたが、最後のほうは「早く働きたい。退屈だ」とぼやいていた。
ステイホーム期間のゴールデンウィークでも、タイムラインには「やることがなくてヒマだ」というポストが溢れていたくらいだ。
FIRE本では「FIREしたあとは旅行したり趣味のダーツをしたりして過ごしたい」なんて書かれているものがあったが、それはFIREしないとできないことだろうか? その先何十年もかけて、毎日やりたいことなのだろうか?
FIREしたあと何をするかという未来絵図がなければ、ただの退屈な隠居生活が待っているだけじゃないだろうか?
というわけで、億り人ニートとなった友人に久しぶりに連絡して、「なんでFIRE後のビジョンがみんなぼんやりしてるんだろう?」と聞いてみた。
すると、彼は即答。
「FIREが目的だからでしょ。投資してる人もそういう人が多いよ。起業のための資金って言う人もいるけど、たいていは『お金持ちになりたいから』ってやってる」
ああ、なるほど。
FIREが手段ではなく、目的になっているのか 。
FIREが手段であれば、本来は他の方法と比較検討されてしかるべきだ。
例えば、「40歳ごろに地元に帰りたい」とする。理由は親の介護かもしれないし、子どもたちを自然豊かな田舎で育てたいからかもしれない。
もちろんFIREも一つの手段だが、フルリモート可能な時短ワークを見つけて地元に帰る方法もあるし、時間に融通が効くシフト制の仕事を地元で見つけるという方法もあるだろう。
勤め先の人事に相談したら、系列企業が地元にあり、うまいこと采配してくれるかもしれない。
「いや、自分の業種はリモートは厳しいし、田舎に帰ったら自然保護の活動をしたい。釣りや畑仕事で自給自足生活を送るんだ!」
そういった夢があるなら、リモートワークや地元で就職より、FIREを選ぶほうがいいだろう。そう、そういった流れでFIREを選ぶなら理解できる。
別の方法と比較検討して、そのうえで「よし、この目的ならFIREが最適だ!」と判断して行動するほうが自然だし、努力する方向がはっきりしていてモチベーションが上がるはずだ。
FIREの目的といっても、十人十色。
「趣味の音楽活動に本腰を入れたい。インディーズでCDを出すのが夢、ライブもしたい」
「子どもが病気を抱えているからずっとそばにいたい。学校に行けないときは自分が勉強を教える」
「動物の保護活動に人生を捧げたい。NPOに参加したり、資格を取ったりしたい」
こういった人もいれば、
「起業するために当面の生活費を確保しておきたい」
「資産運用の情報発信をしたいから、手本になるために自らFIRE達成したい」
「FIRE達成して、給料関係なく趣味の延長でイラストレーターの仕事をしたい」
なんて人もいるかもしれない。
別に、目的はなんだっていいのだ。
FIREは長期計画で、資産とにらめっこしながら支出や収入を管理していかなければならない。物価上昇やインフレ・デフレで、予定通りにいかないこともたくさん起こる。税率だって上がるかもしれない。
それでも、「この目的のためならがんばれる!」と思う指標があれば、踏みとどまって進んでいけるはずだ。
逆に、「自由」「のんびり」「自分らしく」「幸せ」「ストレスから解放」「家族との時間」なんていう抽象的なイメージだけでは、数年間にも及ぶFIRE準備期間を耐え忍ぶのはむずかしいだろう。
少なくとも、わたしなら途中で投げ出す自信がある。
「いやいや、FIREの本を書いている人たちは、『自由』や『のんびり』を謳って達成しているじゃないか」と、そう思うかもしれない。
でもそれは、ただの生存者理論だ。
億り人ニートの友だちが言ったように、世の中にはお金を増やすマネーゲーム自体が好きな人もいる。資格を取るのが趣味な人と同じで、目標を達成するその瞬間が好きで、その後はあんまり興味がない人だっている。
そういう人たちには「その後」のビジョンがないし、そもそも必要ない。
あなたがそういうタイプであれば、それでも問題ないだろう。
でもわたしはマネーゲームとは無縁のズボラ人間だし、「ダイエットは明日から」が口癖で目標に燃えるタイプでもないので、やっぱり「その後のビジョン」はあったほうがいいんじゃないかなぁ、と思う。
具体的な目的なくFIREして人生を謳歌できるのは、何かに対して金勘定関係なく注げる情熱がある、もしくは退屈や暇つぶし耐性がとんでもなく高いアクティブな人くらいなものだろう。
そういう人であれば、FIREによる「労働からの解法」は、大いに人生を豊かにする。
でも、そうじゃなければ……?
まわりはみんな仕事をしているなかで、あなたはその後30年、何をして毎日を過ごすのだろう?
……なんてちょっと脅してしまったが、わたしはFIREを目指すこと自体は、とてもいいことだと思っている。
資産運用の経験はその後の人生にプラスになるし、たとえFIREが実現せずとも、資産を増やすことは悪いことじゃない。
お金があれば、そのぶん選択肢が増えるのも事実だ。
でもFIRE後も、人生は続いていく。
せっかくFIREを達成したのに、その後の数十年間が消化試合になってしまうのは、なんとももったいない。
「将来は好きなことをして過ごす」なんてふわっとした目標のためよりも、「〇年後××したいからがんばる!」という人生設計があったほうが、FIREのために努力している期間もその後の人生も、より楽しくなるんじゃないだろうか 。