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金をくれ、と言ったときに、私と相手の関係がよくわかる。
金をくれ、と言ったときに、私と相手の関係がよくわかる。

金をくれ、と言ったときに、私と相手の関係がよくわかる。

2024/06/09に公開
提供元:安達裕哉

金儲けは、批判の対象になることもあるが、大抵の金儲けは、相手の役に立っている。
でなければ、取引自体が成立しない。

第一に、企業は「顧客を満足させること」によって、対価を受け取っている。
より大きな満足が生み出されることは、世の中を良くすることにつながっている。

第二に、そこで働く人々は、対価の中から分配を受けて生活をしている。
金儲けは、客と働く人々、多方面の人々に不可欠な存在であり、現代社会に必須の活動なのだ。

もちろん良いことばかりではない。
金儲けは公害などの「外部不経済」を生み出す場合もあり、企業がその処理コストを負担しないことは明らかに公正ではないから、その責任をしっかり取らせるべきである。

だが大勢において「金儲けがうまい」=「相手の役に立っている」とみなして良いことにはあまり批判の余地がない。



しかし、この「金儲け」に対して、あいも変わらず差別意識を持っている人々もいる。
相手にカネを要求すること自体が不道徳である、という論理だ。

京セラの創業者である故稲盛和夫は、著書「リーダーのあるべき姿」において、江戸時代の士農工商の流れを受けて、現在においても「商売人」や「経営者」は、軽蔑に近いような扱いを受けている、そのため株式会社は学校経営も病院経営もできない、と、嘆いている。

SNSなどで企業不正などが起きると、「金儲けは悪」というイメージを持っている人々が一斉に企業批判を始めることも珍しくない。

もちろん中には従業員を踏みにじる企業もある。不正を行い公正さよりも金儲けを優先してしまう企業もある。

しかしこれは金儲けとは関係のない、政治家でも軍人でも、病院でも学校でも不正は起きる話であり、企業だから不正を起こしてしまう、という話ではない。

稲盛和夫は「金儲け」に対する歪んだイメージを払拭し、また誠実な経営をしている中小企業の経営者たちに対して、次のように励ましている。

「一般には、経営者とは、自分自身の富を増やすために、従業員を安い給料でこき使っていると思われがちでした。しかし実際にはそうではありません。
自分が豊かになるために従業員を酷使しているのではなく、率先垂範、自分自身が骨身を惜しまず汗水を流し、経営に尽力することで、従業員とその家族を守り抜いているのです。
先ほどもお話ししたように、経営者である皆さんは、まさに人を助ける「利他行」という、すばらしいことに日々努めておられる方なのです。」

*稲盛和夫経営講演選集 第5巻 リーダーのあるべき姿(ダイヤモンド社)



企業経営は、利他行であるというのは、多少言いすぎだとは思うが、
「個人の欲望を追求した結果、相手の役にもたってしまう」という企業と資本市場の仕組みは、人類の発明の中でも、最も偉大な部類に入るだろう。

しかし、こうした現実を受けてもなお、会社員の中には「金儲けは悪だ」と考えている人が少なからずいる。

実際に、コンサルタントや事務職の中には
「金儲けはよくない」
「相手は中小・零細企業だからお金を取ってはいけない」
「社長が頑張っているからお金を請求しないでおこう」
等と言う理由で、正規の報酬を請求しないコンサルタントがいた。

ただ、これは私からすると「ごまかし」というほかない。
なにせ、請求をしなくても、彼ら自身の給料には直接は響かないのだ。

身銭を切らずにそういうことをすれば、結局そういった行為は回りまわって、会社は経営を維持するため、派遣さんや取引業者に「コストカット」という形で被せられていただけだった。

むしろ彼らこそ、自分自身の都合だけで公正な取引を阻害する、「搾取側」の人間だと、思ったものである。
相手を下に見ているからこそ、金を要求しないのである。



したがって、金をくれ、と言ったときに、私と相手の関係がよくわかる。

人は、身銭を切らせないと、本音を言わない。逆に言えば、「本音の付き合い」というのは、お金を通じて最も効率よくやれるのである。

最近ではSNS上で、イラストレーターの方や、作曲家、コンサルタントなどが
「タダで絵を書いてと言われた」
「無償で曲を作ってと言われた」
「アドバイスだけだったらお金要らないでしょう?と言われた」

といった、不道徳な話を告発している。

人の労働力をタダで使うのは、サービス残業を要求する経営者と同じだ。
ある意味では法律違反とも取れる行為である。

目の前の人が本当は、自分のことをどう思っているのか。
どの程度誠実なのか。
どの程度の責任感を持っているのか。
お金を通じた取引をすれば、一番良くわかるのだ。
お金よりも大事な関係なのか、それともお金に劣る関係なのか。

映画化もされた、山内マリコの小説「あのこは貴族」には、二人の主人公がいる。

その一人である、地方の貧乏な家出身の主人公「時岡美紀」の父親は、娘の望みよりも、金を優先する意思決定をする。
主人公が苦労して入学した慶応大学を、「お前に送る金がないから辞めろ」というのだ。

無意味な口論が同じところをぐるぐる回り、結局たどり着いたのは、来年度の学費は出さないという一方的な結論だった。父はまだ失業中で、とてもそんなものを払う余裕はないと吐き捨てた。祖父はまた長期で入院しており、弟の高校卒業まではあと二年ある。
「だからお前、もう帰って来い」  その一言で居間はしーんとなった。
「それって、退学しろってこと?」
父はうなずく代わりに、グラスの酒を飲み干して意思を示した。

*山内マリコ  あのこは貴族 (集英社文庫)



子供の意志よりも、金を優先する決定というのは、現代の話としては、少し信じがたい。

が、お金のやり取りを通じて「人間関係よりも金のほうが大事であるという意思決定」が表に出てきてしまう。
この主人公の父親は、そういう人間だということがよく分かる。

商売に限らず、金をくれ、と言ったときに、私と相手の関係がよくわかる。
私は商売を通じて、そのことを痛感した。


安達 裕哉
あだち ゆうや

1975年生まれ。デロイト トーマツ コンサルティング(現アビームコンサルティング)に入社後、品質マネジメント、人事などの分野でコンサルティングに従事。その後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサルティング部門の立ち上げに参画。
大阪支社長、東京支社長を歴任したのちに独立。
現在はマーケティング会社「ティネクト株式会社」の経営者として、コンサルティング、webメディアの運営支援、記事執筆などを行う。


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