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金儲けこそ、真の社会貢献であると言える理由
金儲けこそ、真の社会貢献であると言える理由

金儲けこそ、真の社会貢献であると言える理由

2024/05/01に公開
提供元:安達裕哉

私が最近考えている「金儲けの本質」について述べます。

私は現在、2つの会社を経営しています。もちろん、資金繰りや利益のことを考えない日はありませんし、会社が生み出すお金で皆が生活しているのですから、社員や関係者のためにもお金儲けは非常に重要です。

でも、そうした「企業人としての金儲け」とは別に、「金儲けの本質」についてよく考えるようになりました。



昭和生まれの人は特に、子供の頃、両親から「お金」について教わったことがある人は少ないのではないでしょうか。
私も例外ではありませんでした。

父は小さな会社を経営し、母は経理を担当していましたが、商売の中身や儲けの話は家族の中で話題になることはほとんどありませんでした。
むしろお金の話を子供から隠していたように感じます。

というのも、「お金の話は子供にとって有害」だと両親は思っていたようなのです。
お金のことを尋ねると、子供は知らなくていい、といったような返事があったように記憶しています。

学校も同じでした。
社会科の授業では、お店について習いましたし、仕事の大事さも学びました。

しかし「お金の稼ぎ方」や「企業の役割」について学ぶ機会はありませんでした。むしろ、お金は強欲の象徴として扱われ、「子供にお金の話をするのはよくない」という雰囲気すらありました。

例えば、教科書に載っていた森鴎外の「山椒大夫」では、長者はろくでなしとして描かれていましたし、小学校の道徳の教科書では、「金をもらわずに治療をした医師」が美談として取り上げられていました。

我々は資本主義社会に生きながら、大人になるまでマネーリテラシーがほぼ育たないのは、そういった事情があるからだと思います。

ところが、大人になり働き始めると、その考え方は変えざるを得ません。

お金の大事さや、稼ぎ方について何も知らないのに、突如として「売上目標」や「事業計画」を作れと言われるのです。
理系の研究室にいた私は大変戸惑いました。

が、中には適応力の高い人もいて、就職活動を始めるとすぐに「金儲け」に付いて語りだす人がいます。
特に印象的だったのが、就職活動の頃、ある友人から聞いた言葉です。
「もちろん、給料だけで会社を決めるわけじゃないけど、儲けていて、給料の高い会社は、それだけ世の中に貢献しているということだから」

これは私にとって目から鱗の発想で、「儲けること」と「社会への貢献」が彼の中では同一だったのです。

その後、コンサルティング会社に就職し、多くの企業を訪問する中で、「儲けることは正しい」「儲けることで社会貢献できる」と考える人々が、企業の中枢部では主流だということを知りました。

私がコンサルティング会社に勤務しているときに、ある社長は
「我々が適切に事業を運営している事自体がすでに社会貢献なのだ。CSRや慈善事業に手を出す必要はまったくない」と言い切っていました。

実際、経営学者のピーター・ドラッカーも、著書の中で次のように述べています。


  • 今日の社会は、企業そのものによって規定される社会
  • 企業の目的は利潤ではなく、社会での役割を果たすこと。ただし役割を果たすためには儲けることが必須

つまり、企業は「商売」の域を超え、「世の中に必須の機関」となるほど役割が増大し、金儲けは「欲望の象徴」から「社会への貢献」へと変わったのです。

もちろん、金儲けを焦るあまりに、犯罪に走る輩も中にはいます。
しかし、だからといって金儲け自体を悪だとする考え方はおかしいでしょう。

それは「交通事故を起こすから自動車は悪だ」というのと全く同じです。

私は、クライアントであった経営者の言葉をよく思い出します。

「金儲けそのものが社会貢献なのだ」

一見すると矛盾しているようですが、よく考えてみると、この言葉には重要な意味が込められています。
企業が利益を上げることは、単に株主の利益になるだけではありません。雇用を創出し、税金を納め、より良い商品やサービスを提供する。つまり、社会の発展に直結しているのです。



結構前になりますが、社内のケーススタディで市場経済や企業経営についてディスカッションをしたことがあります。

「企業の社会的責任」というテーマでも熱心な議論が交わされました。ある方が、こんな主張をしたのを覚えています。

「企業は利益を追求するのが当然だ。株主のために利益を最大化することが、企業の責任だろう」

これに対し、別の方がこう反論しました。

「企業は社会の一員なんだ。だから、利益だけでなく、環境や地域社会への貢献も考えるべきだ」

私は直感的に 「どちらも言い足りない」と思いました。

企業は、社会から切り離された存在ではありません。むしろ、社会と深くつながり、社会に支えられて初めて、事業を継続できる。
ですから、実は企業活動は株主のためでも、地域社会の貢献のためでもないのです。

企業は顧客の役に立ち、地域社会のためにもなってこそ、結果的に株主のためになる。
そのためには社会貢献などを考えるより前に、本業で成功しなければならない。

ですから 金儲けこそ社会貢献、という考え方で運営される企業は、実は健全です。



社会学者マックス・ウェーバーは、著書「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」の中で、プロテスタントの職業倫理が資本主義の発展に大きく寄与したと論じています。

ウェーバーによれば、プロテスタントの一派であるカルヴィニストたちは、「天職」という考え方を重視し、労働を神から与えられた使命と位置づけました。つまり、職業に励むことは神への奉仕であり、社会的な義務でもあるというわけです。

こうした考え方は、労働に対する意欲を高め、禁欲的な生活スタイルを定着させる一方、効率的な生産活動を促しました。その結果、資本の蓄積が進み、資本主義の発展につながったというのがウェーバーの主張です。

ここで注目したいのは、カルヴィニストたちが、金儲けそのものを目的化したのではなく、社会的な責務を果たすための手段として捉えていたことです。利潤の追求は、神から与えられた使命を全うし、社会に貢献するためのプロセスだったのです。

この考え方は、現代のビジネスシーンにも通じる部分があります。私が日々の業務の中で心がけているのは、利益を上げることが自己目的化しないよう、常に社会との接点を意識することです。

ウェーバーが指摘したプロテスタントの職業倫理は、現代社会においても色褪せない価値を持っています。社員一人ひとりが「天職」としての誇りを持ち、社会貢献の精神を胸に、日々の業務に励む。そうした組織文化を育むことが、企業の発展に欠かせない要素だと考えます。

同時に、こうしたマインドセットを社会全体に広めていくことも重要です。学校教育の場から、金儲けの意義や企業の社会的役割について積極的に議論していく。そうすることで、利益と倫理の調和を目指す企業人を数多く輩出できるはずです。

ウェーバーの思想は、100年以上前に提唱されたものですが、現代のビジネスシーンにおいても、普遍的な示唆を与えてくれます。



安達 裕哉
あだち ゆうや

1975年生まれ。デロイト トーマツ コンサルティング(現アビームコンサルティング)に入社後、品質マネジメント、人事などの分野でコンサルティングに従事。その後、監査法人トーマツの中小企業向けコンサルティング部門の立ち上げに参画。
大阪支社長、東京支社長を歴任したのちに独立。
現在はマーケティング会社「ティネクト株式会社」の経営者として、コンサルティング、webメディアの運営支援、記事執筆などを行う。


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