仕事のコミュニケーションには、内容に意味があることが求められることが多いでしょう。
特に、地位の高い人と話す際には、彼らからもらえる時間はきわめて限られているため、無駄なおしゃべりで時間を浪費するわけにはいきません。
が、世間一般では、コミュニケーションに必ずしも内容が求められるわけではありません。
むしろ、内容の無いコミュニケーションが前提となり、人間関係が築かれるケースの方が多いので、教科書的なビジネスしぐさに感化されて「内容の無いコミュニケーションは無駄」と勘違いしている人のトラブルが絶えません。
特に、職場では「中身のないコミュニケーション」の代表である、「あいさつ」を軽視する人がいますが、これは非常にまずいことです。
そこで本稿では少し、「あいさつ」について、書いてみたいと思います。
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人間関係は「取引」や「約束」、あるいは「話し合い」によって良好な関係が保たれる、と思う方がいるかもしれません。
たしかにそういった面もあります。
約束を守ったり、信頼される行動を取ったり、嘘をつかなかったりと、誠実でまじめな行動が、良好な考え方を作る、という考え方です。
しかし、大人にとって、長く人間関係を良好に保つための本質は、「取引など」だけなのかと言えば、実際はそうとも言い切れない所があります。
というのも、信頼は実際の利害をともなう人間関係に由来するだけではなく、どちらかと言えば「長く一緒に過ごす」という、「馴れ」の側面も強いからです。
だから利害をベースとしたときに要求される、詳細なコミュニケーションではなく、日常の生活を円滑にするだけの目的を持つ「上辺だけのコミュニケーション」、つまり挨拶や、他愛もない日常会話をバカにする人は、時に手痛いしっぺ返しを受けることがあります。
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例えば「あいさつ」に関する話です。
私が昔在籍していた会社では、「あいさつ」の重要性が強く説かれていました。
「おはよう」からはじまり、「こんにちは」「こんばんは」「失礼します」 まで、あいさつは一言で人間関係を円滑にすることのできるフレーズだということを、社長が非常に重視していたのです。
社長にとって、あいさつは「最もコストパフォーマンスが良いコミュニケーション手段の一つ」であり、全社員が励行すべきことでした。
実際、少なくない数の会社において新人の評価基準の1つに 「あいさつがきちんとできる」 と含まれていることからしても、あいさつのコストパフォーマンスを一般的に「良い」と見なす企業は多いと思います。
でも面白いことに、世の中にはあいさつを全くしない人が結構いるのです。
理由は「面倒」なのか「重要だと思っていない」のか、あるいは「恥ずかしい」なのか、様々な理由があるでしょう。
しかし、彼らはあいさつをあまり重要だと思っていないようです。
特にこれは新人に限ったことではなく、高い技術を持つ人ですら「おはようございます」といっても何も返事がないことなどザラですし、同じマンションの住人同士が出会っても何も言わない人もいます。
あいさつをしない人々にとって、「あいさつは苦痛」であり「してもしなくても良い物」である、よく言っても「面倒くさい儀礼」なのです。
ですから、彼らに「あいさつ」をするように求めると、「それは仕事ではない」と、よくトラブルになります。
しかし、あいさつをすることが普通の人からすれば、場合によっては
「失礼な人だなあ」
と思うかもしれませんし、あいさつをしたのに、それを返してもくれない人は、むしろ「非常識」であり、関わりたくない人、と言っても良いくらいなのです。
一度、上司が部下に「なぜキチンと挨拶できないんだ」と聞いていたのを目撃したことがあります。
その人の回答は「あ、忘れてました」でした。
その上司からすれば、ビジネス上のやり取りだけではなく、日常のあいさつのほうがよほど重要だったらしく、「あ、忘れてました」と回答した部下の評価は非常に低くなってしまいました。
「あいさつすらできないような人間に、ビジネスができるわけがない」と言う理由で。
それは偏見なのでしょうか?
もちろん、考え方は「人それぞれ」です。
しかし、上の上司のように、「あいさつができないやつはダメ」という考え方をする人は、少なくありません。
いったいなぜでしょうか。
その一つとして、「人間関係は、残念ながらデフォルトでは「敵」だから。」という意見があります。
大昔は、「そこにいるけれど、敵か味方かわからない」という人は、一先ず「敵かもしれない」というフォルダに入れるべき存在だったことでしょう。油断していて、後ろから襲われることが最も怖いからです。
現代になって、ようやく都市では「知らない人同士が近くにいる」という状況が生まれましたが、いまでも、田舎では「よそ者」に対する警戒が強いという状況は全く珍しくありません。
そういう時に必要だったのが、「中身のないコミュニケーション」、つまりあいさつです。
相手の習慣やことばはよくわからないが、相手と打ち解けたいというシグナルを送ることで、「私は敵ではない」と示すことは、とても重要なしぐさだったことでしょう。
あいさつは「信頼」を築く最初の一手です。
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幼稚園から大学まで、我々は学校で一貫して、「あいさつをせよ」と言われ続けます。
中にはそれにうんざりして「あいさつくらい、しなくてもいいだろう」と、社会に出てもあいさつをしない人がいます。
しかしそうして、『中身のないコミュニケーション』をないがしろにすればするほど、その人の評価はさがり、仕事をする前から「あの人とは付き合いにくいよね」という評判が定着してしまうのです。
これは非常に怖いことです。
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では、どうしたらよいのでしょう。
賢さや性格とは関係ない、この手の「習慣」に属する行動は、とにかく「やってみる」以外に身につける方法がないのが、悩ましいところです。
ですから、そのカギとなるのは「あいさつの重要性の認識」です。
小学生でもできるが、大人にもできない人がいる、と言うことは結局、技能ではなく、その重要性の認識に関する問題に帰結するのです。
特に企業において、どれほど「あいさつをしない人」が、低評価となるかを知ることは、「あいさつ」の費用対効果を知るうえで、非常に重要です。
また、可能であれば、企業内では上司や経営者など、できれば地位の高い人が積極的にあいさつを仕掛けるようにすると良いでしょう。
いつの世でも、一般人は地位の高い人の行動を規範として、組織内で動くようになるのです。もし挨拶をする人がきわめて少ない会社だとしたら、それは地位の高い人が挨拶をしない会社だ、という事です。
そしてもし、自分が「あいさつをしない」側に属していると考えるのであれば、何でもいいので挨拶をするようにしてみてください。
あいさつを繰り返すうちに、「人間関係って、意外に簡単に改善できるんだ」と思うことが多くなるでしょう。
そう、細かい話の中身よりも、「敵ではない」「愛想がいい」ことを示すほうが、コミュニケーションの改善に大きな力があるのです。
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