お札の肖像は、どのようにして選ばれるのでしょうか。
単なる歴史上の人物なのでしょうか。
それとも他の要素もあるのでしょうか。
明治から現代までの間に紙幣の肖像に採用された特徴的な人物や、旧紙幣に登場した人物たちのエピソードをご紹介し、彼らがなぜ紙幣の顔となったのかを探ります。
お札の肖像は、通貨行政を担当する財務省、発行元の日本銀行、製造元の国立印刷局の三者で協議したうえで、最終的には財務大臣が決めることになっています。*1
そもそも、お札に肖像が描かれているのはなぜでしょうか。
それは、人間の目は、人の顔や表情のわずかな違いにも気がつくという特性があるため、偽造防止に役立つためです。
では、肖像はどうやって選ぶのでしょうか。
その選び方には法令の制約はありませんが、一般に次のような理由で選定します。
こうした観点から、現在のお札の肖像は明治以降の人物から選ばれています。
肖像入りのお札が日本で初めて採用されたのは、140年以上前の1881年(明治14年)に発行された「改造紙幣壹圓券」です。*2
そのお札の肖像は、『古事記』や『日本書紀』に登場する神功(じんぐう)皇后。
皇子を身ごもりながら兵を率いて外征したというほどの猛者で、統治能力に優れた女性だったという逸話で知られる神話上の女性です。*3
図柄のデザインと原版彫刻は外国人によるもので、そのためかエキゾチックな顔立ちの肖像です。*2
図1 改造紙幣(神功皇后札)壹圓券
出典)「改造紙幣(神功皇后札)」国立印刷局
実は これが大型の女性肖像をお札に登場させた世界初の事例となりました。*4
当時、世界の紙幣に描かれていたのは、アメリカがワシントン大統領などの政治家、ロシアは小型の女神像、ドイツは守護神、英国は文字と小さなブリタニア紋章だけでした。
その中で、お札に女性肖像を採用した日本は進歩的だったといえるかもしれません。
それ以来、2024年7月に発行された新紙幣を含めて、 お札の肖像に描かれているのは次の20人です。*1
図2 これまで紙片の肖像に登場した人物20人
出典)「お金に関するよくある質問」国立印刷所
聖徳太子はこれまでもっとも多くの紙幣に登場した人物で、以下の7回、描かれています。*1
この一万円札が発行されたときには、こんな高額の紙幣はいらないという声もありましたが、高度経済成長につれ、流通量は順調に増えていきました。*4
図3 聖徳太子の肖像
出典)「お金に関するよくある質問」国立印刷所
聖徳太子は「十七条憲法」を制定し、その第一条が「和を以て貴しとなす」だったことはよく知られています。
「尊重し合い、認めあって協調することが尊い」といった意味です。
実は聖徳太子の肖像が何回も使われたのは、そのことと関係があります。
戦後、GHQ(連合国軍総司令部)は聖徳太子以外の人物を禁止しました。
しかも、それすら禁止されそうだったのを説得したのが、当時の日銀総裁、一万田尚登(いちまだ ひさと)氏だったといわれています。
落としどころは、「聖徳太子は古代の平和主義者だから」というもの。戦後すぐのことなので、その言葉には強い響きがこもっていたのかもしれません。
次に、旧紙幣に描かれた3人の人物をみていきましょう。
まずは、福澤諭吉です。
「諭吉さん」といえば一万円の代名詞。
それもそのはずで、 福沢諭吉が肖像となっている一万円札は2種類あり、40年間にわたって使われてきたのです。*5
諭吉の肖像が初めて登場したのは1984年(昭和59年)のこと。聖徳太子に代わっての起用でしたが、2004年(平成16年)に新たな紙幣に切り替わったときにも引き続き起用されました。
図4 2004年11月1日に発行開始された一万円札
出典)「お札の基本情報」国立印刷局
長年なじんだ一万円札は、「諭吉コスメ」「諭吉ファンデ」という言葉を産み出しました。
美容業界やコスメファンの女性たちが、一万円を超える高級化粧品やファンデーションをそう呼んできたのです。*6
2024年に一万円札の肖像が渋沢栄一に切り替わったときには、諭吉の肖像に愛着をもつ人のなかで「諭吉ロス」が広がったほどでした。
福澤諭吉は、明治時代を代表する思想家、教育者であり、日本初の私立大学である慶應義塾大学の創設者です。*7
2度にわたる渡米や、ヨーロッパへの渡航歴があり、西洋の思想や学問を日本に紹介しました。
下級武士の家に生まれ、1歳半で父親をなくした諭吉は、14、5歳まで勉強する余裕がありませんでした。
その後、長崎で蘭学(オランダの書物によって西洋の技術や文化を学ぶ学問)を学び始め、5年ほどかけてオランダ語を習得します。
1859年、開港したばかりの横浜へ張り切って「腕試し」に行った諭吉ですが、オランダ語はもう国際的に通用しなくなっていることを思い知らされ、愕然とします。
しかし、すぐに頭を切り替え、辞書を頼りに独学で英語の勉強を始めると、その翌年の1860年には咸臨丸(かんりんまる)に乗ってアメリカへ。
そして4か月足らずで帰国すると、幕府に翻訳者として雇われたというのですから、 人並外れた才能と行動力、そして時代の波を見抜く先見の明があったのでしょう。
明治維新は封建社会から近代国家への移行という大きな転換期でした。
開国か攘夷かをめぐって戊辰戦争が繰り広げられます。
1868年5月15日、彰義隊が上野で新政府軍に抗戦し、江戸市中は騒然とします。
そのさなか、諭吉は響き渡る大砲の音にもまったく動じず、塾生たちをなだめ励ましながら、時間割通りウェーランドの経済書を講義しました。
ペンは剣より強し。
国の一大事だからこそ、武力に走らず、学問に励む。
このことは福沢諭吉の象徴的なエピソードとして今に語り継がれています。
上述のように、お札に初めて登場した女性は神
功皇后ですが、それは明治期の政府紙幣でした。では、日本銀行が発行する「日本銀行券」の肖像に初めて採用された女性は誰でしょうか。
日本銀行券の肖像としては、2004年に発行された五千円札に採用された樋口一葉が初めての女性です。*1, *8
財務省によると、その採用には女性の社会進出を推進するための配慮があったということです。
また、肖像ではありませんが、2000年に発行された二千円札の裏面の右側に紫式部の顔が描かれています。
その選択理由は、今から1,000年以上前に書かれた『源氏物語』が世界に誇るべき文学作品であることだと説明されています。
図5 お札に登場した女性たち
出典)「お金に関するよくある質問」国立印刷所
薄幸のイメージをまとう樋口一葉は、わずか24歳で逝去しています。*9
幼い頃は裕福に育ちましたが、17歳で父親を亡くし長兄も早世したことから家計を担うことになり、お金の苦労が絶えませんでした。
18歳(1891年、明治24年)の時、母と妹を養うために小説家を志しますが、それだけでは生活できず、2年後には雑貨と駄菓子を売る店を始めました。
しかし、商売も上手くいかず、翌年5月には店をたたみ、執筆活動に専念します。
その際に引っ越しをしていますが、一葉は短い生涯で15回も転居したことで知られています。
そして、 1894年12月から亡くなる直前の1896年1月の間に『大つごもり』『たけくらべ』『にごりえ』『十三夜』などの代表作を次々に執筆します。これが「奇跡の14か月」です。
『たけくらべ』は森鴎外や幸田露伴に絶賛されますが、それから間もなく、一葉はこの世を去りました。
2004年に発行された千円札には、それまで日本銀行券の肖像として選択したことのなかった科学者が採用されました。野口英世です。*8
日本は1995年に「科学技術基本法」を制定し、翌1996年から5年ごとに「科学技術基本計画」を策定して、長期的に科学技術政策を実行することになりました。*10
時代背景を考えると、科学者が選ばれたのは、こうした動向と関連していることが窺えます。
図6 2004年11月1日に発行開始された千円札
出典)「お札の基本情報」国立印刷局
1876(明治9)年、福島県猪苗代に生まれた野口英世は1歳の時に左手に大やけどを負いましたが、15歳のとき友人たちの援助を得て左手の手術を受けました。 *11, 12
それをきっかけに医学の道を志し、晴れて医師になった英世でしたが、1898(明治31)年、細菌学の研究者を志して北里柴三郎のいた伝染病研究所に入所します。
その後、 アメリカのロックフェラー医学研究所を拠点に世界で活躍し、ノーベル賞の候補にもなりました。
ロックフェラー研究所での研究ぶりは猛烈で、「日本人はいつ寝るのだろう?」と言われるほどでした。
南米で作った薬ではアフリカの黄熱病は治らないという連絡を受けた英世はアフリカのガーナに渡ります。そして、そこで黄熱病の研究中に感染し、51歳で亡くなりました。
「英世」は実は21歳のときに改名した名前です。
生まれたときの名前は「野口清作」でしたが、東京で細菌の研究をしているとき、ある小説を読みます。
それは当時の人気小説家、坪内逍遥が書いたベストセラー、『当世書生気質』でした。
主人公の名前は「野々口精作」で、しかも医学生、さらに勉強を怠けて堕落してしまうというストーリーです。
名前だけでなく、自身と酷似する点が多々あったため、清作は驚愕し、 この「野々口精作」のような人間にはなるまいという決意もこめて「英世」と改名しました。
このときの決意や戒めが、研究や社会貢献に対する英世の真摯な姿勢につながったのかもしれません。
これまでみてきたように、お札の肖像になった人物にはその人ならではの特別なエピソードが語り継がれており、いずれも示唆的です。
お札は、法律で無制限に通用することが定められているため、次の21種類のお札は、現在も使えます。*1
図7 現在も通用する21種類のお札
出典)「お金に関するよくある質問」国立印刷所
これらのお札に遭遇することがあったら、その肖像の人物について調べてみてはいかがでしょうか。もしかしたら、興味深い発見があるかもしれません。
本コラム執筆時点における情報に基づいて作成しておりますので、最新情報との乖離にご注意ください。
出典
*1 国立印刷局「お金に関するよくある質問」
*2 国立印刷局「改造紙幣(神功皇后札)1円」
*3 日本経済新聞「神功皇后は実在した? 九州に数多く残る伝承地」
*4 日本経済新聞 NIKKEI BizGate「「令和の新札」肖像を右側に描くワケ」
*5 国立印刷局「お札の基本情報」
*6 讀賣新聞「新紙幣発行で「諭吉ロス」…諭吉コスメ、諭吉せんべいどうなる?」(2024年7月2日)
*7 慶應義塾大学「創立者 福沢諭吉」
*8 財務省「紙幣の図柄について、図柄の意味と、その図柄を採用した理由を教えてください」
*9 台東区「一葉記念館」
*10 内閣府「科学技術基本計画及び科学技術・イノベーション基本計画」
*11 野口英世記念館「野口英世ってこんな人」
*12 会津若松市「野口英世の生涯・年表」(更新日 2022年12月27日)