
日本銀行の短観では、大企業製造業の業況判断指数(DI)が改善を続け、企業の景況感は回復傾向にあることが示されています。
しかし、その一方で、労働者が生活の豊かさを実感できていないという「ギャップ」が生じています。
その「ギャップ」はどうして生じているのでしょうか。
結論を先取りすると、その背景には、物価上昇と物価の上昇に賃金の伸びが十分、追いついてこなかった状況があります。
企業収益が改善しても、その恩恵が賃金上昇として十分に家計へ届かなければ、生活実感とのギャップは埋まりません。
特に最近は、生鮮食品を除く食料など、生活に欠かせない分野で値上がりが続いており、家計への負担感は強まっています。
さらに、実質賃金は最近ようやく上向いてきたものの、その先行きは物価次第だと見込まれています。
日銀短観「業況判断指数(DI)」に加え、総務省が公表している「消費者物価指数(CPI)」や厚生労働省「毎月勤労統計」の実質賃金に関するデータを用い、企業の景況感と家計の実感の差が生まれる構造をわかりやすく解説します。
まず、日本銀行の短観によって、企業経営者の景況感をみてみましょう。
日銀短観は、正式には「全国企業短期経済観測調査」といい、日本銀行が行っているアンケート調査です。全国の企業経営者を対象に、現在の業況や今後の見通し、設備投資計画などを尋ねるもので、企業の景況感を把握するための代表的な統計として注目されています。*1
年4回(3、6、9、12月)調査を行い、原則として4、7、10月初旬と12月中旬に日銀短観の結果を公表しています。*2
短観の特徴は、回答率が高く、調査から約1か月という早さで結果が公表される点です。
そのため、景気の動きをいち早くつかめる指標として重視されています。
日銀短観の調査項目のなかでも、特に注目されているのが「業況判断DI」です。
業況判断DIとはDiffusion Indexの略で、企業経営者の景況感やその変化がわかる指標です。
アンケートをベースにして得られるデータで、回答企業は自社の収益を中心とした業況の判断について、「良い」「さほど良くない」「悪い」の3つから回答します。
業況判断DIは、「良い」と回答した企業の割合から、「悪い」と回答した企業の割合を差し引いて算出されます。
したがって、業況が「良い」と考える経営者のほうが多ければ、業況判断DIの結果はプラスとなります。一方、結果がマイナスなら、業況が「悪い」と判断している経営者のほうが多いということになります。
基本的に大企業、中堅企業、中小企業で結果は異なりますが、特に景気や経済に大きな影響力を持つ大企業の業況判断DIは重要です。
ここで、2026年3月調査までの業況判断DIの推移をみてみましょう(図1)。*3
図のシャドー部分は景気の後退期を表しています。

図1 業況判断DIの推移
出典)三菱UFJリサーチ&コンサルティング 「経済レポート 日銀短観(2026年3月調査)結果」p.1
2026年4月1日に発表された日銀短観(2026年3月調査)では、大企業製造業の業況判断DIは、前回調査から1ポイント改善して、17となりました。
また、大企業非製造業の業況判断DIは、前回調査から横ばいの36となりました。
図1をみると、大企業の業況判断DIは2021年以降プラスに転じています。
また、2024年の後半以降、企業規模や製造業・非製造業にかぎらず、業況判断DIがプラスであることから、企業経営者の多くは、業況が「良い」と考えていることがわかります。
業況が良いと思われているのに、なぜ生活が豊かになったという実感が伴わないのでしょうか。
その原因の1つに物価上昇の問題があります。
消費者物価指数(以下、「CPI」)は、私たちが日常生活で購入する食品や光熱費、家電、サービスなどの価格が、全体としてどのように変化しているかを示す指標です。*4
家計の支出内容を一定とした場合に、生活に必要なお金が物価の変動によってどれくらい増減したかを指数で表し、毎月、総務省が公表しています。
指数の作成には、家計調査で把握した支出割合や、小売物価統計調査で調べた商品の価格が使われています。
CPIは、年金額の改定や経済政策の判断などにも活用されています。
総務省が2026年4月に発表した、「2020年基準消費者物価指数 全国 2026年(令和8年)3月分及び2025年度(令和7年度)平均」によると、2026年3月のCPIは以下のようになっています。
1)総合指数は2020年を100として112.7
前年同月比は1.5%の上昇、前月比(季節調整値)は0.4%の上昇
2)生鮮食品を除く総合指数は112.1
前年同月比は1.8%の上昇、前月比(季節調整値)は0.5%の上昇
3)生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数は111.9
前年同月比は2.4%の上昇、前月比(季節調整値)は0.2%の上昇
総合指数、生鮮食品を除く総合指数、生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数ともに、前年同月比・前月比ともに上昇しています。
以下は、2023年から2026年3月までのCPIの推移を表しています。*5
図2 総合指数・生鮮食品を除く総合指数・生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数(左から)
出典)総務省 「2020年基準消費者物価指数 全国 2026年(令和8年)3月分及び2025年度(令和7年度)平均」(2026年4月24日)p.1
図2からは、2023年以降、物価が継続的に上昇していることがわかります。
特にフォーカスしたいのは、「生鮮食品及びエネルギーを除く総合指数」も上昇している点です。
これは、一時的な天候不順による野菜価格の高騰や、原油価格の変動だけではなく、日用品や外食、サービスなど、生活全体にわたって値上がりが続いていることを示しています。
実際、日常生活では、スーパーでの買い物や外食、電気代などについて、「以前より高くなった」と感じる場面が少なくありません。
一方で、上述のとおり、日銀短観でみると、大企業製造業の業況判断DIは改善傾向が続いています。
しかし、企業の景況感がよくなっていても、家計の側では、物価上昇によって生活コストが増加しています。
そのため、「景気はよいらしいが、自分の生活は楽になっていない」という感覚のギャップが生まれやすくなっているのです。
こうした状況をさらに考えるうえで重要になるのが、「実質賃金」です。
給与を考えるとき、名目賃金と実質賃金は、区別して考えることが重要です。
その賃金で実際にどれだけの商品やサービスを購入できるかという「購買力」をみたい場合には、実質賃金を把握する必要があります。
名目賃金とは、時給や月給、ボーナスなど、実際に受け取る金額そのものを指します。たとえば、給料が30万円から31万円に増えれば、名目賃金は上昇したことになります。*6
一方、実質賃金は、その賃金で実際にどれだけの商品やサービスを購入できるかという「購買力」を示す指標です。名目賃金から物価上昇の影響を差し引いて計算されます。
たとえ給料が増えていても、それ以上に物価が上がれば、買えるものは減ってしまいます。このような場合、名目賃金は上昇していても、実質賃金は低下しています。
このように、実質賃金の推移をみることで、私たちの生活水準が実際に改善しているのかどうかを把握することができます。
実質賃金の計算式は以下のとおりです。
実質賃金 = 名目賃金 ÷(CPI ÷ 100)
厚生労働省が公表した2026年2月の毎月勤労統計では、現金給与総額が前年比+3.4%になりました。前月の1月は同+2.7%だったことから、上昇率が高まったことになります。*7
名目賃金から物価変動の影響を除いた実質賃金(CPIの「持家の帰属家賃を除く総合」で実質化)も前年比+2.0%と2ヵ月連続でプラスとなり、前月の同+0.7%から上昇率が大きく拡大しました。
ちなみに、2025年は1月から12月まで、1年を通じてマイナスだったことから、2026年になってようやくプラスに転じたことになります。
ただし、こうした「本系列」のデータは、月次の賃金変化の動向を把握することには必ずしも適さないという指摘があります。*8
そこで、その指摘に基づき、「前年同月分」・「当月分」の両方が集計対象となった「共通事業所」ベースの前年比を、「本系列」とあわせて確認してみましょう。
この共通事業所ベースの値をみると、2026年2月は前年比+3.1%と、前月の同+2.3%から上昇率が拡大しています。
また、実質賃金も、前年比+1.7%(前月の1月は同+0.6%)と、3か月連続で増加しました。
下の図3は、本系列・共通事業所の両方のベースに基づき、現金給与総額と実質賃金の推移をグラフにしたものです。
図3 現金給与総額と実質賃金の推移
出典)第一ライフ資産運用経済研究所 「実質賃金はプラス圏に浮上(2026年2月毎月勤労統計)~実質賃金は改善も、先行きは物価次第~」(2026年4月2日)
2026年になってようやく実質賃金がプラス圏に入ったことは、図3の右図で実質賃金をみることによっても確認できます。
このように、最近まで実質賃金がなかなか上昇しなかったことが、大企業の景況感と家計の実感とのギャップに反映しているのです。
今後も名目賃金の安定的な伸びが期待される一方で、実質賃金がプラス圏を維持できるかどうかは物価次第だと見込まれています。
今後は、原油価格の動きや、円安・資源価格の上昇による値上げの広がり、さらに政府の補助金政策がどうなるかが重要なポイントになります。
実質賃金については、4月以降もしばらくはプラスを維持する可能性があります。
ただし、物価の上昇が続けば、賃金の伸びが追いつかず、実質賃金が再びマイナスに転じる可能性もあると指摘されています。
日銀短観によると、大企業を中心に企業の景況感の改善が続いています。
しかし、その一方で、多くの人が「生活が豊かになった」と実感できていない背景には、物価上昇と実質賃金の伸び悩みがあります。
今後、景気回復が「実感できる豊かさ」につながっていくためには、物価上昇に見合った、名目賃金の上昇が欠かせません。
その動向が注目されます。
本コラム執筆時点における情報に基づいて作成しておりますので、最新情報との乖離にご注意ください。
出典
*1 日本銀行 「日本銀行について>『短観』とは何ですか?」
*2 三菱UFJ銀行 Money Canvas 「日銀短観はなぜ注目される?業況判断DIの見方や株価・金利への影響を解説」(2024年7月12日)
*3 三菱UFJリサーチ&コンサルティング 「経済レポート 日銀短観(2026年3月調査)結果」(2026年4月1日)p.1
*4 総務省 「消費者物価指数(CPI)」
*5 総務省 「2020年基準消費者物価指数 全国 2026年(令和8年)3月分及び2025年度(令和7年度)平均」(2026年4月24日)p.1、3
*6 三菱UFJeスマート證券 カブヨム 「実質賃金とは?名目賃金との違いや推移を解説」(2025年8月27日)
*7 厚生労働省 「毎月勤労統計調査 2026(令和8)年2月分結果確報」(2026年4月23日)p.2
*8 第一ライフ資産運用経済研究所 「実質賃金はプラス圏に浮上(2026年2月毎月勤労統計)~実質賃金は改善も、先行きは物価次第~」(2026年4月2日)
