2024年2月22日、日経平均株価は3万9098円68銭まで上昇し、バブル期の1989年12月29日につけた終値としての史上最高値を34年ぶりに更新しました。*1
日本はバブル崩壊後、長期にわたり経済が低迷した状態にあり、「失われた30年」とも呼ばれていましたが、今後この低迷期を本格的に脱出できるのかに注目が集まっています。
日本が1980年代後半から1990年代初頭に経験したバブル期の歴史は、投資を行う上でも重要な教訓を現代に伝えています。
この記事では、バブル経済の成り立ちと崩壊の原因、そして歴史から学ぶべき投資の教訓について解説します。
バブル経済とは、投資や消費の過熱で不動産や株式の価格が急速に上昇し、その速度が実際の経済成長を大きく上回る経済状態をさします。
バブル経済の形成にはいくつかの要因が絡み合っています。
その中でも特に重要なのが、1985年のプラザ合意後に日本銀行が行った金利の引き下げです。
プラザ合意とは、1985年に過剰なドル高を是正するため、アメリカのニューヨークにあるプラザホテルに、主要5カ国(アメリカ、日本、西ドイツ(現ドイツ)、フランス、イギリス)の財務大臣と中央銀行総裁が集まり、為替レートの調整に合意したことをさします。
プラザ合意前、1ドルは240円台でしたが、1986年の年末にはドル売りの影響により、1ドル=150円台まで円高になりました。*2
この急激な円高への対策として、日本銀行は金利を引き下げ、企業や個人はより安いコストで資金を借りることができるようになります。これにより、不動産や株式市場への投資が促進され、資産価格が急上昇しました。*3
政府の規制緩和もこのバブル経済の形成を後押ししました。
金融機関が不動産を担保とした融資を拡大したことで、不動産価格はさらに上昇します。
株式市場では、企業の業績とは無関係に株価が上昇し、投機的な取引が盛んに行われました。
人々の間には、不動産や株式の価格の上昇が経済成長を支えると誤った認識が広がります。
その影響で、不動産や株式市場には多くの資金が流入し、その結果土地価格が実体経済の成長を大きく上回るペースで上昇しました。
この時期には、「土地神話」と呼ばれるほど土地や不動産の価値が上がり続け確実な利益をもたらすという考えが広まり、不動産投資が加速します。
結果としてこれらの状況は、実体経済の成長率を大きく上回るインフレーションを加速させました。*3
バブル経済は人々の生活にも変化をもたらし、高級品の消費や海外旅行が増加するなど企業や個人の消費が拡大したのです。*4
バブル崩壊の背後には国内外のさまざまな要因が複雑に絡み合っています。
国内では、日本銀行による政策がバブル崩壊の引き金となりました。
1980年代後半にかけて、日本経済は過熱し、不動産や株式の価格が実体経済の成長を大きく上回る異常な高騰を見せていました。
日本銀行は、インフレを抑制し経済の過熱を冷ます目的で、1989年末から金利を段階的に引き上げます。
金利が引き上げられると、企業や個人が資金を借りる際に支払う利息が増加するため、人々が不動産や株式への投資を見直すきっかけとなりました。
また、人々の認識の変化も影響しました。
バブル経済においては、多くの人々が価格上昇を前提に投資や消費を拡大していましたが、過剰な価格上昇や投機的な行動が持続不可能ではないかとの危機感が広がります。
この認識の変化が起こると、人々は資産を売却し始め、それが市場全体に連鎖反応を引き起こしました。
国外では、1980年代後半から1990年代初頭にかけてのグローバルな金融市場の変動などが影響を与えます。
たとえば、米国の金利政策が変わると、それが日本からの資金流出を促し、日本経済にさらなる圧力を加える結果となりました。
これらの国内外の要因が複合的に作用し、1990年代初頭には不動産や株式の価格が大幅に下落し始めました。*3
バブル崩壊後、日本は長期にわたる経済停滞期に突入します。
1990年に記録した日経平均株価の最高値38,915円87銭から、価格は大幅に下落し、1992年8月には一時15,000円を割りました。*5
この株価の下落は、企業の資産価値を著しく減少させ、資金繰りに深刻な影響をおよぼします。
また、バブル経済のピーク時には、1ドル=約120円から130円で推移していた為替レートが、1995年には1ドル=約80円まで円高が進行しました。*6
この急激な円高は、国外における日本製品の価格競争力を低下させ、日本の輸出企業に大きな打撃を与えます。
バブル崩壊の影響は、株価や為替レートの変動にとどまらず、日本経済全体に深刻な後遺症を残しました。
不動産と株式市場の価格の下落により、多額の不良債権を抱え込んだ金融機関は経営危機に瀕しました。
また、企業の倒産も増加し、失業率が上昇するなど、社会全体に影響が波及しました。
他にも、資産価値の下落は消費者の将来に対する不安を増大させ、貯蓄率の上昇と消費の抑制を招き経済成長の停滞を引き起こしました。*6
このような状況を打開するために、政府と日本銀行はさまざまな施策を講じます。
政府は財政出動を行い、公共事業の拡大や税制の改革を通じて経済活動の活性化を試み、日本銀行は金利を歴史的に低いレベルにまで引き下げ、市場に資金を供給することで経済を刺激しようとしました。*7
しかし、これらの施策は経済を短期間で立て直すには至らず、日本経済は長期にわたる停滞期に入ります。
この時期は、後に「失われた30年」と呼ばれ、日本の経済政策や金融政策に対する見直しを迫ることとなりました。
バブル崩壊の歴史は、次のような経済危機や株価暴落のリスクを最小限に抑えるための重要な教訓を現代に伝えています。
バブル崩壊後は不動産と株式市場の価格が大幅に下落しました。
分散投資により、リスクを分散させることが大切です。たとえば、国内株式だけでなく、外国株式、債券や金など、異なる分野に投資を行うことで、リスクを軽減することができます。
バブル崩壊前に上昇した株価は、崩壊とともに大幅に下落しました。
バブル期に限らず、株価は上昇と下落を繰り返します。
短期的な市場の変動に一喜一憂せず、長期的な投資戦略を持つことが大切です。
例えばつみたて投資であればドルコスト平均法を用いて市場の変動リスクを抑えながら長期運用できます。
バブル経済の発生の一因には、将来に対する過度の楽観と無根拠な期待がありました。
投資を行う際は、他人の意見や噂に左右されず、市場の現実的な評価を常に心がけ、過度な楽観に流されないようにしましょう。
日経平均株価や為替の動向などに日頃から興味を持ち、学んでいくことが大切です。
本コラムでは、バブル経済の成り立ちと崩壊の歴史から学ぶべき投資の教訓を解説しました。
今ふたたび日経平均株価が上昇し、バブル期のピークを越えましたが、人々の将来への期待感はバブル期ほど高くはありません。
将来に向けて着実に資産形成していくために、過去の教訓をこれからの投資戦略に役立てていただければ幸いです。
※本コラムは執筆時点における情報に基づいて作成しておりますので、最新情報との乖離にご注意ください。
※本コラムは一部AIを活用しています。
出典
*1 NHK「日経平均株価 バブル期につけた史上最高値を更新」
*2 内閣府HP「「バブル/デフレ期の日本経済と経済政策」
第1巻『日本経済の記録-第2次石油危機への対応からバブル崩壊まで-』」
*3 NHK「1からわかる!株・為替(6)為替から見える世界の経済と政治」
*4 日本政府観光局「出国日本人数の推移」
*5 朝日新聞デジタル「バブル絶頂と崩壊」
*6 内閣府HP「バブル崩壊と景気後退」
*7 日本銀行金融研究所「日本におけるバブル崩壊後の調整に対する政策対応― 中間報告 ―」