「上司からあまり信頼されていないような気がします。どうしたらいいでしょう」という質問をもらうことがあります。
読者の皆様であれば、どのような回答をするでしょうか?
「先回りして上司のニーズをつかむ」
「挨拶をする」
「報告・連絡・相談」を徹底する
「成果をあげる」
「よくコミュニケーションを取る」
など、様々な回答があるでしょう。もちろん、どれも正解です。
しかし、それだけでは「信用を得る」ということに対して、十分な理解があるとは言えません。今回は、「信用とはなにか」について深く考察し、冒頭の質問に答えたいと思います。
***
働くようになってから「信用が大事」と何度言われたことでしょう。
能力を磨くとか、行動力が物をいうとか、ビジネスで大事なことは数あれど、「信用」ほど多くの人が重視していることはないように思えます。
しかし、改めて「信用ってなに?」と聞かれると、多くの人は答えに窮するのではないでしょうか。
実際、日本国語大辞典で「信用」を調べると、
・信じて任用すること
・信じて疑わないこと
・人望のあること
・評判のよいこと
などの意味が載っていますが、そもそも定義の中に「信じる」という言葉が入っています。そこでさらに「信じる」を調べると、
・物事を本当だと思う。また信頼する、信用する
とあります。結局、堂々巡りであり、その本質はよくわかりません。
しかし、こうした「意味のわからない言葉」を、先輩や講師はとりあげて「信用は大事!」というのです。
さらに、私がコンサルタントをやっていたころ、「信用」という言葉が経営理念に入っている会社はとても多かったです。
商売上「信用」が重要だと述べる経営者も決して少なくないですが、「では信用を得るために、社員にどのような行動を期待していますか?」と聞くと、「お客さんに気に入ってもらうこと」とか「満足してもらうこと」といった、抽象的な回答にとどまり、その本質まで踏み込んでいることは少ないです。
要は「なんとなく大事」というのが「信用」の実際なのでしょう。
では本質的な意味での「信用」とは何なのでしょうか。
その言語化は非常に難しいですが、実は非常に有用な定義があります。
「安心社会から信頼社会へ」(山岸俊男 中公新書)には、「信頼(≒信用)とは何か」について、非常に詳細な考察がなされています。
細かい点を省くと、山岸は、信頼の定義を、次のようにしています。
「信頼」は、相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、相手の人間性のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えること。
逆に、山岸は「信頼」と対になる概念として「安心」を掲げています。
「安心」は、相手が裏切るかどうかわからない状況の中で、相手の損得勘定のゆえに、相手が自分を裏切らないだろうと考えること。
信頼は不確実性を残したまま、人に期待を持たなければなりません。
しかし、安心は、システムやルール、約束事などによって、「相手が裏切る」という不確実性を減らすことで成り立っています。
例えば、「裏切ったら処刑される」という掟がある非合法な組織では、ボスが子分に持つのは「信頼」ではなく「安心」です。
三蔵法師が孫悟空に対して「頭を締め付ける輪があるから、裏切らないだろうと考えること」も「信頼」ではなく「安心」です。
山岸の洞察の優れている点は、「信頼」をベースにした人間関係と「安心」をベースにした人間関係を区別しているところにあります。
「安心」は直接人を信じなくとも仕組みによって機能し、逆に「信頼」とは文字通り「人間を信じている」からこそ成り立つのです。
これは非常に重要な示唆を含んでいます。つまり、「安心」が当事者間の評価を不要とする一方で、「信頼」は、それを得るのに、当事者間の「人を見る」スキルが必要だということです。
「安心」は仕組みや社会制度がそれを担保してくれる一方で、「信頼」は完全に「その人」に紐づいた属性となります。
だからこれは「個」対「個」、あるいは「組織」対「組織」の個別の話となります。
つまり「この人なら大丈夫」あるいは「この会社なら大丈夫」といった、個別の評価の集積が、すなわち「信用」の正体です。
ここで重要なのは、「評価」ではなく、「集積」の部分です。
つまり信用という言葉そのものに、時間の概念が含まれているのです。
評価の集積が「信用」であれば、つまりそれは「共に過ごした時間」が、信用そのものであるということです。
ブランドは歴史が長ければ長いほど、信頼されます。
クレジットカードにおける信用である「クレジットヒストリー」も時間の経過とともに積み上がります。
遠くの親戚より近くの他人が信用できるのは「ともに過ごす時間」が長いからです。
だから、信用を手っ取り早く得る方法はありません。
よく管理職研修などで、「部下からの信頼を得る(手っ取り早い)方法はないですか?」
と聞かれることがありますが、これは発想そのものが間違っていて、「手っ取り早く信用を得る事ができる」という考え方そのものが、信用の定義に反しているのです。
だから、とても大きな失態を犯して、上司の信用を失ってしまった部下が、一気に信用を取り戻すことはできません。
「上司からあまり信頼されていないような気がします。どうしたらいいでしょう」
という質問に対しては、「何年もかけて取り戻すしかない」としか言いようがないのです。
もちろん、大きなミスをして、取引先の信用を失った会社が、信用を取り戻すのにも、とても長い時間がかかります。一気にそれを得る方法はありません。
つまり「信用」を基礎とした人間関係全般は、「効率化できない」のです。
・一発で信用されるXX
とか、
・明日から、あっという間に頼られる
といった言説は、すべて嘘、とまではいきませんが、得られるのは信用ではなく、信用を得るための一つの「評価」にすぎません。
*
世界中で数千万人に読まれている、有名な自己啓発書、「7つの習慣」には、「信頼とは預金残高のようなもの」と書かれています。
評価に値する行動をとれば、評価が積み上がり、信用の残高が増える。
評価を損なうような行動を取れば、逆に信用の残高が下がり、ついにはそれが枯渇し、愛想を尽かされてしまう。
まさに「信頼残高」=「評価の集積」です。
「行動で作った問題を、言葉でごまかすことは出来ない」
と、「7つの習慣」にはありますが、信頼を重視するのであれば、まさに最も貴重な資源である、「時間」を投入しなければならないことを知っておくべきでしょう。
信頼は「お金」では買えないといいますが、まさにそのとおりなのです。