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「独立したいなら金融系に就職すべき」という俗説は本当なのか
「独立したいなら金融系に就職すべき」という俗説は本当なのか

「独立したいなら金融系に就職すべき」という俗説は本当なのか

2024/03/16に公開
提供元:桃野泰徳

「いずれ独立したいと考えているのですが、どんな業界に就職すれば近道でしょうか」


少し前のことだが、若い学生にそんな事を聞かれたことがある。


就職活動が始まる時期なので、“ゆくゆくは経営者に”という思いで聞いてきたのだろう。

しかし目的や価値観、なぜ独立したいのかといった想いもわからない状態では、有益なアドバイスなどできそうにない。


聞いたところで、「独立に近道の業界」という、ありもしないものについて、責任ある助言をするのも難しい。


そのため少し考えて、こんな思い出話を聞いてもらうことにした。


「どんな業界に就職すれば、経営者としての勉強になるのか。私には正直わかりません」

「…そうですか」

「ただ、私が大和証券の1年生だった時にやらかした事件は、“経営者的な素養があるかも”と気づかせてくれる、良いきっかけになりました」



そう前置きすると私は、その出来事を話しはじめた。

もう30年ほど前なので、インターネット取引などというものは存在しない時代のことだ。

顧客の家や会社を訪問し、銘柄など商品を説明して興味を持ってもらえたら、売買注文を出すという流れである。


そんなある日のこと。

懇意にしていた顧客が100万円の札束3つを金庫から出してきて、目の前に置くことがあった。

帯札付きで、新札の束特有の存在感と迫力がある。


「欲しい銘柄があるねん。発注内容は明日の朝に電話するから、これをワシの口座に入金しといてくれるか」

「困ります。“先発”と言って、お金をお預かりする時は先に、お預かり伝票を支店から…」

「ええから持って帰ってくれ。キミのことは信頼してるから大丈夫や」

「…」


相手は京都老舗の富豪で、こちらは大学を出たばかりのヒヨッコだ。

圧に押しきられ、お金を数えキッチリ300万円であることを確認すると、依頼を引き受けてしまった。

そして最寄りのバス停から、支店に戻る。


「もしもし、終点ですよ。降りて下さい」

一瞬、何がなんだかわからないまま驚き、目を覚ます。

バスに乗るとすぐに眠りこけてしまい、支店を大きく通り越して、終点まで寝てしまっていたのだった。

しかも、手に持っていたはずのカバンが無い。慌てて周りを見回すと、脇に転がっている。

中を確認すると、なんとか札束は無事だった―。


そんな思い出を学生に話すと、その意味をこう説明した。

「どんな業界であっても、経営者になるにはそんな“お金観”が必要なんだと思っています。わかるでしょうか」

困惑顔でこちらを見る学生。

少し考えてもらおうとビールを追加注文し、学生の回答を待ちながら飲み続けた。


「人が辞めるねん」

話は変わるが、20年ほど前、地方のメーカーで経営の立て直しに携わっていた時のことだ。

現場出身の創業社長が一代で50億円企業に育て上げ、正社員200名、パート・アルバイトを含めると800名近い規模にまで育て上げた、地域では知られた会社だった。


しかし経営が傾き、しかもその原因がよくわからない。

売上は規模に見合っており、給与水準も同業他社に比べむしろ低いはずなのに、赤字に苦しんでいるという。

メインバンクの投資部長のご縁で役員に就くことになったのだが、着任早々、その原因がすぐにわかった。


その会社では、誰も正確な数字を把握できていなかった。というよりも、正確な数字を把握できずにいた。

月次決算がまとまるのは、月末に締めて翌月の末である。

その数字を元に、翌月10日に役員会をするのだが、それは2ヶ月前の情報であり数字だ。

原因分析をして対策を打つには、何もかも遅すぎる。


そしてその中に一つ、経営の根幹にかかわる大きな問題があった。


社員一人ひとりの給与水準は決して高くないのに、製造労務費の比率が同業他社に比べて明らかに高い理由を、誰も説明できないことだった。

製造部長に質問しても、「2ヶ月前はいつもより忙しかった記憶があります」というようなレベルの分析しか返ってこない。

原因の把握ができなければ、対策の打ちようがない。


そのためすぐ、2ヶ月前の製造レポートを取り寄せ、生産数量を日々のデータへとグラフ化する。

そこに正社員の残業代発生日・支払額を乗せ、最後にパート・アルバイトさんへの給与発生日と総額の推移を重ねてみた。

生産数量と人件費の発生状況を比較することで、どういったイベントで人件費の増減が発生するのかを明らかにするためだ。


その結果は、驚くべきものだった。

週末や月末の生産量が増加するタイミングで正社員の残業代が多く発生し、パート・アルバイトさんへの支払総額が減少していたのだ。

逆に生産量が減少する月初や週の半ばでは、パート・アルバイトさんの支払総額が増加する明らかな傾向がみられた。

数ヶ月分遡ってデータ化したが、いずれの月も同様だった。


何が起きているのか、もはや明らかだ。

(パート・アルバイトさんは忙しい時期を避け、暇な時を狙ってシフトに入りたがっている。それを無条件で認め、繁忙時の人手不足を社員が残業で補っているのか…)


さっそく工場長のもとに行き、その仮説でお聞きする。

「工場長、シフトの決め方ですがもしかして、パート・アルバイトさんの希望をそのまま通しているということはないでしょうか」

「そうやで。毎月25日までに翌月の希望を聞いて、原則そのまま入ってもらっとるよ。そうせんとなかなか人が集まらへんねん」


その結果、何が起きているのか、数字で丁寧に説明する。

最初は驚き素直に聞いていてくれた工場長だったが、その一方でこんな事情も話し始めた。

「言ってることはわかるんやけど、希望を却下するとすぐに人が辞めるねん。気持ちよく働いてもらうためにも、希望はそのまま聞かんと、工場が回らへんのよ」

「工場長、同じ時給ですのでパート・アルバイトさんの立場になれば気持は良くわかります。しかしお金の使い方として明らかに間違っています」


そしてこれは、忙しい時期に助けてくれる誠実でまじめな人ほど損をする、不公平なルールであること。

暇な時だけ狙って入るであろう人に、社員やパート・アルバイトさんの不満が鬱積しているであろうこと。

シフトの運用を正常化する、ただそれだけで毎月数百万円のコストが浮く可能性があることなどを説明した。


「工場長、繁忙時の時給を少し上乗せすればいいだけのことです。シフトが正常化されれば、プラスのほうが確実に上回ります。社員の残業代も確実に減るでしょう」


結果はすぐに出た。

生産量予測に応じて時給に差をつけ、パート・アルバイトさんのシフトを増減させる。

ただそれだけのことで、予想通り社員の残業も大幅に減り、数百万単位でのコストカットに繋がったのだ。

きっと不満を持ったのは、それまで”ズルく”立ち回っていたパート・アルバイトさんだけだっただろう。


数字には、全ての異常事態が確実に現れる―。

そんな事を再確認できた、今も強く印象に残っているCFO(最高財務責任者)時代の思い出のひとつになっている。

“利益の正体”とはなにか

話は冒頭の、学生との会話についてだ。

なぜバスの中で顧客の現金を抱えたまま寝てしまったことが、“経営者的な素養”だと考えているのか。


「豪胆さが必要ということですか? それとも無神経さも大事という意味でしょうか」

「どちらも違います。お金をツールとしか感じていないということです。極論、私は抱えてた金額が1億円でも、眠ければ寝てしまった気がします」


そして、お金とは目的を達成するための媒介であって、物欲を満たす手段と考える人に経営は向かないと考えていること。

お金とは、誰かや社会をより幸せにするための「定量化の手段」であって、利益はその成績表であると考えていること。

だからその時に運んでいた「誰かのお金」は、責任感の欠如はともかく、“モノ”としか感じてなかったので寝てしまったことなどを話し、最後にこう付け加えた。


「どこに就職したとしても、誰かのお金や給料を羨ましく思うことがあれば、きっと経営に向かないと思います。人のお金など、自分の人生にも生き方にも、まったく関係ありません」



そして話は、経営立て直しの思い出についてだ。「気持ちよく働いてもらうためにも、パート・アルバイトさんの希望はそのまま聞きたい」

工場長はそう言って、高止まりしている人件費をそのまま維持したいと主張した。


ではその投資は本当に、社員や世の中をより幸せにするために、有効なお金の使い方なのか。

絶対に違う。こずるい人だけがいい思いをして、誠実な人ほど損をするために多くのお金を投入するなど、明らかに間違っているからだ。

だからこそ、現場トップの意向を無視してでもこのシフト改善を押し通した。

「部分最適」にこだわる人、それを認めてしまうリーダーに、経営は向かない。

それを認めれば無限に“できない言い訳”が生まれてしまい、結果として組織の全員が不幸になるからだ。


「どんな業界に就職すれば、独立への近道なのか」


結局のところその答えはわからないし、きっと答えなどないと思っている。

その上で一つ言えるのは、間違った形での出費は1円でも大嫌いなこと。

世の中や誰かが良くなると確信できれば、できる限りの投資に全力で取り組めること。

そう考えることができる人であれば、どこの業界に就職しても必然的に、独立する道が拓けるのではないだろうか。

人や社会のために使ったお金や時間は、必ず自分に返ってくるのだから。

そしてそれこそが“利益の正体”だと、確信している。


桃野泰徳

大学卒業後、大和證券に勤務。中堅メーカーなどでCFOを歴任し独立。朝日新聞などに、リーダー論を中心に連載中。
主な著書
『なぜこんな人が上司なのか』(新潮新書)『自衛隊の最高幹部はどのように選ばれるのか』(週刊東洋経済)など

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