「あらっ。お久しぶりです。お元気でした?
私ですか?こっちは見ての通りですよ。
お客さんは少ないけど、コロナの前からこんなもんです。ブームが終わっちゃったんでねぇ。今は、もう10年前とはぜんぜん売り上げの桁が違いますね。
最近はやっとイベントも復活してきましたけど、イベントに出たってそんなに売れない。だって、世の中インフレでしょう?
生活していくのにみんな必死やのに、ハンドメイドアクセサリーや雑貨なんて、買う人おらんですよ。どうしても必要なものじゃないですもん」
そう話す女性とは、かれこれ10年来の知り合いだ。
私がハンドメイドで稼ごうともがいていた頃に、同じように頑張っていた仲間の一人である。
今からおよそ10年前、空前のハンドメイドブームが起こった。ブームの火付け役は、気軽にハンドメイド作品を売買できる専用サイトの登場だと言われている。
「誰でも」「簡単に」「個人で」ちょっとした手作りのアクセサリーや雑貨を販売できるようになると、ハンドメイド人口は爆発的に増えていった。
ハンドメイド作家になるのに、専門的な知識や技術は必要ない。もちろんあった方が望ましいのだが、今時は便利なグッズやパーツが市販されているため、作ること自体は簡単なのだ。
ハンドメイド作品を売買する専用サイトの成功とブームの盛り上がりを受けて、他の大手企業も続々と類似サイトとイベントを立ち上げた。ネットの活況と並行する形で、リアルでも大小様々なハンドメイドイベントが開催されるようになっていく。
私がハンドメイドに目をつけたのは、たまたまそうしたイベントの近くを通りかかったのがきっかけだった。
それは屋外のイベントで、子供を連れて出店していた40代くらいの女性が、UVレジン(紫外線で固まる合成樹脂)を使った雑貨を販売していた。
100均で買えるビーズなどの素材を枠に入れて、レジンで固めただけのシンプルな商品だったが、当時はまだレジンが珍しかったこともあり、1,000円近い値段でも高いとは思わなかった。
高いとは思わなかったが、このくらいなら自分にも作れそうだと思った。そこで早速、材料や作り方をネットで調べて試しに作ってみたところ、それなりのものがすぐにできた。
当時はレジンの他に、スイーツデコ(まるで本物のお菓子のような粘土作品)も人気が出始めていた。それにも目をつけ、見様見真似で作った雑貨を人に見せて回っていたら、「イベントに出店してみないか」と声がかかるようになったのだ。
こうして私は、ハンドメイド作家としてデビューした。
あの頃はまだ、ブームの初期だったのが良かったのだろう。ハンドメイド作家としてイベントに出店するようになった最初の月に、週に1度イベントに出ていただけで、いきなり20万円も売り上げることができた。
驚きと喜びで興奮した私は、「ひょっとして、これは仕事になるのではないか」と考えた。
まだ人手不足も今ほど深刻化しておらず、地方では最低時給が700円台だった頃である。非正規雇用で昼間の仕事をしていては、手取りで10万円を稼ぐのがやっとだった。
もしハンドメイドで稼げるなら、子供を預けてパートであくせく働くよりも、割りが良く都合も良いように思えたのだ。
しかし、それが非常に甘い考えであったことは、半年と経たないうちに分かってきた。
作れば売れる。イベントに出れば人が集まる。そんな調子で売り上げをキープできたのは、作家デビューした夏休みシーズンと、それに続く秋の行楽シーズンまでだったのだ。
やがて冬を迎えると、売り上げは激減した。というより、ほぼ売り上げがなくなってしまった。「イベントにさえ出られれば」と焦ったが、肝心のイベントそのものが無いのである。
それまでのイベント出店を通じて知り合ったベテラン作家さんたちに聞くと、「元々そういうもの」であるらしい。冬はイベント枯れのシーズンなのだ。
それでも活動歴が長く、実力が認められている一部の作家さんたちは、イベントがなくても忙しそうにしていた。
雑貨店やインテリアショップ、花屋など、様々な業種の店舗からぜひと声をかけられて、店内で個展やワークショップを開催していたし、委託販売をすることでも収入を確保しているようだった。
けれど、私に同じことはできなかった。作品に個性がなかったからだ。
当時の私が作っていたのは、いわゆる「流行りもの」だった。スイーツデコもレジンも、好きだったから作っていたのではなく、ただ「流行っていて売れるから」作っていただけだ。そこには何のこだわりもない。
「ぜひうちで個展をやらないか」とか、「ぜひあなたの作品をうちに置かせて欲しい」なんて、誘いの声がかかるはずもなかった。
作家の個性や高い技術力が反映されていない量産型ハンドメイド作品は、一時的にはよく売れても、長い目で見れば需要がないのだ。
実際、始めのうちこそ飛ぶように売れていたスイーツデコやレジンの雑貨は、徐々に売れ行きが鈍くなっていった。誰でも簡単に真似ができてしまうため、時を追うごとに類似品が多く出回るようになり、珍しさがなくなったのだ。
最初の売れ行きの良さは、単に先行者利益のたまものだった。
当然、流行りを追いかけるだけではネットでも戦えない。全国の作家が膨大な数の作品を出品しているサイトの中では、よほどオリジナリティーのある作風か、激安価格でなければ目立たず、埋もれてしまう。
他の追随を許さない個性や技法を持たない凡庸な作家が作品を売るためには、流行りものを出すのが1番手っ取り早い。けれど、安易な気持ちでその道を選んでしまうと、やがて消耗戦に疲弊することとなる。
流行との追いかけっこは永遠に終わらない上、旬が過ぎれば陳腐化してしまう商品が、不良在庫としてたまっていくからだ。
ハンドメイドで商売を始めた頃は、「300円で仕入れたものが1,000円で売れるのだから、700円の利益」だと単純に考えていたが、そうではなかった。
その700円の利益を生み出すためには、まず素材を加工する手間がかかっている。イベントに出店する場合は、出店料と交通費もかかる。丸1日拘束されて、もし現地で飲み食いすれば、その経費も差し引かなければ正確な利益は計算できない。
専門サイトを通じてネット販売した場合には、包装や送料の負担も生じるし、サイトの運営会社に手数料も支払わなければならないのだ。
もし商品が売れ残って不良在庫になってしまったり、それを赤字覚悟のセール価格で販売したりすれば、さらに利益率は下がっていく。
加工や販売にかかった手間暇を考えたら、いったい私は時給いくらで働いていることになるのだろうか?
作家活動を始めて1年も経たないうちに、そうした商売の基本が分かり始め、疑問や悩みが頭をもたげるようになっていた。
「自分の時給を考えだしたら、ハンドメイド作家なんてやってられないよ」
この道でキャリアの長いベテラン作家たちは、みな口を揃えてそう言った。
それでも「ものづくりの楽しさ」というやりがいを支えにして、活動を続けているのだ。
私にとって、売り物は作品と呼べるものではなく、ただの商品だった。好きだからではなく、できるから作っていただけだ。
周りを見渡せば、私と同様「お金」を目的に活動をしていた「にわかハンドメイド作家」たちは、総じて脱落が早かったように思う。
当時は、「ハンドメイドで稼ぐ!」という特集が主婦向けのテレビ番組で頻繁に放送されていたし、「ハンドメイドを仕事にする!」ためのハウツー本も次から次へと出版されていた。そうした情報を目にした素人が、その気になって続々と市場に参入したが、ほとんどの人は「思ったように売れない」という現実の壁にすぐぶち当たる。
それもそのはず。ブームが加熱した結果、ハンドメイド市場は作品を買いたい人より売りたい人で溢れかえり、レッドオーシャンになったのだ。海もここまで赤く染まれば、もはや私が経験したようなビギナーズラックも望めない。
にも関わらず、雨後の筍のようにイベントと作家は増え続けた。
商売の厳しさと、作家としての自分の立ち位置が見えた結果、私はハンドメイドから遠ざかった。ハンドメイドイベントやセミナーの主催なども手がけてみたが、その道も自分には向いておらず、早々に挫折した。
唯一、情報発信の為に書いていたブログに人気が出て、いつの間にかライターになってしまったのだから、人生は分からないものだ。
ハンドメイドを仕事にしようともがいていた頃に知り合った多くの作家たちは、確かな技術と実力、情熱のあった人たちが、今や人気作家となって活躍の場を広げている。
その陰で、多くの凡庸な作家たちが、赤い海の波間に消えていくのも見た。
意外だったのは、そのどちらのタイプでもない作家たちが、目立つこともなければ消えることもなく、いつまでもマイペースに活動を続けていることだ。
自分がその時々で好きなものを「稼ごう!」と気負わずにコツコツと作り続け、本業となる仕事や家庭を優先しながらも、マイペースに活動を楽しんでいる。実は彼女たちこそが、本来あるべきハンドメイド作家の姿なのではないだろうか。
冒頭に登場した女性も、そうしたマイペース組の一人である。
以前のように売れないことを嘆きながらも、
「でもね、もうそんなに売れなくってもいいんです。こっちも頑張ってないんでね。
ブームの頃は、休みなくあちこちのイベントに出ながら、お客さんに合わせて『売れる商品』を夜なべしながら作ってました。若かったですね。(笑)
今は自分の好きなものだけを作って、負担なく出られるイベントにだけ出店して、楽しめる範囲で無理なくやってます。もう子供も大きくなって、普通に仕事もしてるし、これで稼がなくたっていいんですよ」
と笑っていた。
結果的にハンドメイドから離れたものの、私は作家活動をしてみて良かったと思っている。活動を通じて得た経験が、決して無駄にはなっていないからだ。
自分でアイデアを考え、商品を生み出し、サービスを提供してお金をいただくという経験をしたことで、「価値を生み出す」ということの大変さを身に染みて理解できた。
100円の利益を生み出すのがどれほど大変なことか、雇われて働くだけでは一生分からなかっただろう。
ハンドメイド作家として成功することは容易ではない。副業レベルの収入を得ることですら、実はそうとう難易度が高い。
けれど、ハンドメイド起業は多くの人にお勧めしたいスモールビジネスの一例だ。リスクを取れる範囲で小さな商売を経験してみることで、仕事に対する視点が劇的に変わるのだから。
残念ながら商売が向いておらず、「やはり自分は雇われて働く」という選択をしたとしても、そこで得られた知見は、その後の人生にきっと役立つはずである。