現代の労働市場において、給与は個人の能力や業績を評価する重要な指標の一つである。
しかし、多くの人が知るように、給与が高いからといって必ずしもその人が有能であるとは限らない。
中身を見ると実際には、その能力と働きによって高い給与を維持している場合と、会社の看板によってたまたま高い給与をもらえている場合に分かれるからだ。
前者は高い給与をもらう「正当性」がある。
彼らの多くは、専門的なスキルや知識を持ち、社外における評価も高いことが多い。
これは単なる政治力によって高い評価を得ているのではなく、成果をあげることによって高い評価を得ていることを示している。
しかし、後者、会社の看板によって「たまたま」高い給与を得ている人は問題だ。
なぜならば彼らが高い給与をもらう事で、別の誰かは結局「搾取されている」ということになるからだ。
実際、たまたま入った大企業で高給を得ていながら、下請けに過酷な条件で仕事を渡しているだけ、という人は少なからずいる。
それが「真っ当なこと」であるかは、人によって意見が分かれるかもしれないが、少なくとも私はそれが歪んでいると感じる。
しかし、長期的には彼らは必ず市場の審判を受けることになる。
転職、リストラ、市場の変化による会社の業績低下。
現在では「人の労働者としての寿命よりもながく業績を維持する会社」はほぼ存在しないと言ってよい。彼らは市場にさらされることで、初めて自分の真の能力と市場価値のギャップに気付かされる。
思い起こせば、私のかつてのクライアントにも、このような人間たちが数多くいた。
彼らは無能ではあるが、「仕事をしているふり」はしなければならない。
そこで彼らがやるのが、「下請けに無駄な仕事をたくさんやらせる」こと。
彼らは自分で手を動かすことは嫌いだが、人に指示を出すことは大好きである。
また、社内へのアピールとして、無駄な下請けへのダメだしをする。そうすれば「何かをしているように見える」からだ。
そんな困った生態を持つ彼らだが、コンサルティング会社では、このような人物を見つけたら、できうる限り、プロジェクトから排除するように動いていた。
理由はいくつかあるが、下の3つが大きかった。
したがって、このような人物がプロジェクトに入り込むのを防ぐために、我々は「誰が給料をもらいすぎの無能なのか?」に対しては、非常に敏感であった。
ではいったいどのような人物が「もらいすぎ」なのか。
東京都の正社員給与の中央値は、521.5万円である。*1
あくまでこれは目安ではあるが、これを下回る給与の人に対して「もらいすぎ」というのは酷であろう。
彼らは純粋なワーカーであり、仕事を自ら見つけるのではなく、与えられた仕事をこなすことに専念することで給与を得ている。
彼らの職務評価は、与えられたタスクをどれだけ効率的にこなすかに依存しており、自己成長やスキルアップの機会を積極的に追求する必要はない。
日々の業務を確実にこなすことが求められ、創造性や革新性よりも、安定したパフォーマンスを出すことが第一である。
それ以上のことを要求するのであれば、もっと支払うべきである。
しかし、これよりもある程度高い給与については、要注意である。
少なくとも、経営側は
といった行動様式が、600万円~700万円を超える給与を出している労働者に見られている場合は、強い不満を持つことが多い。
そしてこれこそ「もらいすぎている無能」を判断するのに使われる典型的な指標だ。
実際、指示待ちの姿勢は、無能とされる人々の典型的な特徴であり、彼らは自ら仕事を見つけに行くことをせず、与えられたタスクをこなすことに終始する。
自発性が欠如した人間は、新たなスキルや知識を習得する機会を逃すのみならず、次第に「現状維持」を望むようになり、徐々に抵抗勢力と化す。
しかも本人たちは「抵抗勢力」となっていることに気づいていないことも多い。
多くの場合「抵抗勢力」とは、表立って抵抗を表明する人々ではない。
抵抗勢力とは、日々の仕事の改善に無関心で、あたらしいことを覚えようとしない、「不作為の人々」である。
これが「もらいすぎの無能」の正体だ。
では「自分がもらいすぎている」と気づいたらどうしたらよいか。
大別すると3つのすべきことがある。
まず自ら仕事を見つけに行くこと。
これは、単に与えられたタスクをこなすだけでなく、自分から新たな仕事を探し出すことを含む。
ただし上で述べたように「意味のない仕事」を増やしてもダメだ。
実際には「仕事を見つける」とは、「パフォーマンスに責任を持つこと」と同義なので、作業ではなく「会社の業績」に直結することをしなければならない。
売上やコスト、そして働く人の意欲の向上にどの程度自分の活動が寄与しているか、それを「言われるのではなく」自分で設定する。
そして、そのためには、下請けを含め、周囲の人々や、上司との協力関係を築くことが重要となる。
そして2つ目のポイント。
上司との協力関係のために、「良き部下」であることが重要だ。
良き部下とは、どういうことか。
良き部下の本質は、「上司の気持ちがわかる」こと。
そして「上司の仕事を積極的にフォローすること」の二つだ。
もちろん、中には上司が嫌いで仕方がない、という人もいるだろう。
そう言う人に無理にこの価値観を採用してもらう必要はない。
しかし、上司が部下を嫌う時には、必ずそれなりの理由がある。
そう言う気持ちを理解しようと努めなければ、「もらいすぎの無能」を脱却することは難しい。
そして最後の3つ目に、上司と一緒になって業績に対する責任を自覚すること。
業績に責任を持つことが、単なるワーカーと、自律的な労働者の本質的な違いだ。
他人よりも多くの金をもらう、ということは、つまりは人よりも多くの責任を果たす、という事である。
それは社内だけを見るのではなく、世の中全体を見たうえで、「多くの報酬をもらうという事はどういうことなのか」を自覚せねばならない。
なめた態度で、仕事を適当にやり、下請けを搾取しようとする態度をとる人間は、結局市場から排除されていくことになることは間違いない。
私はコンサルティング会社においても、高給を取りながら、さして働かず、飲み会の席で自分がいかに有能なのかを話すことだけ達者な人たちを何人も見てきた。
結局彼らのほとんどはお客さんから嫌われ、下請けからも仕事を断られ、同僚から無視されて、ファームを去っていった。
私はそういう人々を見るにつけ、「市場は怠け者を許さないのだな」と強く思うのだ。
出典
*1 indeed「東京都の平均年収は男女、年代別でいくら?高い理由も紹介」