近年、物価高や人手不足の深刻化を背景に、多くの企業が従業員の待遇改善や賃金アップに踏み切っています。
この動きを税制面から後押しするのが「賃上げ税制」です。政府は従業員の給与を一定以上引き上げた企業に対し、法人税(あるいは個人事業主の場合は所得税)の一部を控除する仕組みを設け、賃上げを積極的に促しています。
実際、2023年度には賃上げ税制を活用する企業が過去最多となり、その減税額も急拡大しました。
本記事では、賃上げ税制の基本的な概要やメリット・デメリット、活用が増加している理由、そして最新の適用状況などをわかりやすく解説します。
賃上げ税制とは、企業が従業員の給与等(ボーナスなどを含む)を前年度より増加させた場合に、その増加額の一部を法人税(個人事業主の場合は所得税)から控除できる制度です。*1
正式には「賃上げ促進税制」と呼ばれ、青色申告を行っている法人・個人事業主が対象となります。
具体的には、継続雇用している社員の給与総額を一定割合以上引き上げると、その増加分に応じた税額控除(税金から直接差し引ける控除)を受けられます。
たとえば中小企業で要件を満たした場合、増加額の最大45%が税額控除の対象となり、大企業や中堅企業でも最大35%まで控除可能です。ただし、この税額控除額には上限があり、当年度の法人税額の20%相当額までしか差し引けません(超えた分は繰り越し可)。*2 *3
この賃上げ税制は近年たびたび延長・拡充されており、2024年度税制改正でも制度の強化が行われました。
元々は2013年度(平成25年度)の税制改正で導入された「所得拡大促進税制」が前身であり、その後名称変更や要件緩和を経て現在の形になっています。直近では2022年度(令和4年度)税制改正で大幅な拡充が行われ、さらに2024年度(令和6年度)税制改正で適用期間の3年延長(令和9年3月まで)と税額控除率の引き上げが盛り込まれました。*3
このように政府が強く推奨する制度となっており、賃上げに積極的に取り組む企業への後押し策の一つとなっています。
近年、賃上げ税制を活用する企業数は急増し、過去最多となっています。
財務省の調査によれば、2022年度(令和4年度)に賃上げ税制を適用した件数は約21万5千件に上り、前年度の約13万8千件から大幅に増加しました。
税額控除の適用総額も5,134億円と過去最大となる見込みであり、賃上げに踏み切った企業が非常に多かったことがうかがえます。*4
なぜこれほど多くの企業が賃上げ税制を利用しているのか、その背景となる理由を3つに整理して解説します。
まず挙げられるのが、近年の物価高騰(インフレ)への対応です。2022年以降、日本では消費者物価指数が前年比2~3%を超える上昇を記録し、エネルギーや食料品を中心に生活コストが上がりました。こうした状況下で、従業員の生活水準を維持するため企業が賃上げを行うケースが増えています。
実際、財務省の分析でも「物価が上昇する中、賃上げ促進税制の適用件数・適用額は大きく増加」していると指摘されています。*4
少子高齢化や人手不足が深刻化する中、優秀な人材を引き留めたり採用したりするために給与水準を上げる企業が増えています。
ある調査では、企業が賃上げを行う理由の第1位に「人材の確保・定着」が挙げられており、その割合は実に66.5%にも上りました。*5
また厚生労働省の調査によれば、2022年に賃上げ(ベースアップや賞与増額)を実施した企業の7割強が「社員のモチベーション向上・待遇改善」を、4割強が「社員の定着・人員不足の解消のため」と回答しています。*6
このように、 賃上げは従業員のやる気や会社へのロイヤリティを高め、人材流出を防ぐ効果が期待できるため、多くの企業が賃上げに踏み切っているのです。
賃上げ税制はその動きを後押しするもので、人材確保のために賃上げ→税負担軽減という好循環を生み出す手段として活用が広がっています。
三つ目の理由は、賃上げ税制そのものの拡充です。政府は「新しい資本主義」の旗印の下で企業による積極的な賃上げを促しています。
2022年度の税制改正では、賃上げ幅に応じた税額控除率が大幅に引き上げられています(中小企業最大40%、大企業30%へ)。
さらに2024年度の改正では、「まだデフレマインドから脱却しきれていない中でさらなる賃上げが必要」との判断から、制度の適用期間を3年間延長し、税額控除率も中小企業最大45%、大企業・中堅企業最大35%へと引き上げられました。*3
この拡充により制度の認知度も高まり、「どうせ賃上げするなら税制も活用しよう」という企業が増えたと考えられます。事実、2023年度の賃上げ促進税制による減税額は約7,278億円にのぼり、前年度の1.4倍に増加しました。*7
それでは次に、賃上げ税制を活用することによるメリットを紹介していきます。
賃上げ税制最大のメリットは、何といっても法人税(または所得税)の負担軽減です。
一定以上の賃上げを行った企業は、増加した給与支給額の一部について法人税額から直接控除を受けられるため、実質的に税金が戻ってくる形になります。*1
通常、法人税の税率は中小企業で年800万円超部分は23.2%、大企業では約30%前後ですが、賃上げ税制を活用すればその一部が減税となり手元資金が増えます。
たとえば給与総額を大きく増やした企業では、何億円もの課税所得を圧縮したのと同等の効果が得られ、浮いた資金を設備投資や更なる人件費アップに回すことも可能です。
実際の適用例として、2023年度に企業が賃上げ税制によって受けた減税額は7,278億円にも達しました。
このように国全体でも巨額の減税効果が生じており、個々の企業にとっても賃上げによる負担増を和らげる大きな助けとなっています。
特に中小企業においては最大で増加給与額の45%もの税額控除が認められるため、うまく要件を満たせば法人税額が大幅に減少します。*7
賃上げ税制のもう一つのメリットは、従業員の定着率向上やモチベーションアップにつながる点です。
制度そのものは税の優遇措置ですが、適用要件を満たすには実際に給与を増やす必要があります。
給与水準の向上は従業員にとって大きなプラスであり、「会社がしっかり待遇改善してくれた」と感じれば仕事への意欲向上や会社への愛着にもつながります。
一方で、賃上げ税制にはいくつかのデメリットや注意点もあります。
まず挙げられるのが、 適用要件や手続きがやや複雑である点です。
賃上げ税制を受けるには、税務申告の際に所定の明細書を添付して適用を受ける必要があり、そもそも対象となる「継続雇用者」や「比較雇用者給与等支給額」の計算も独特です。
また、大企業においては追加的な要件として「教育訓練費の増加」や「社外に向けた方針の公表」などが課されます。
例えば資本金10億円以上・従業員1,000人以上の大企業では、「マルチステークホルダー方針(従業員や取引先など全ての利害関係者に配慮した経営方針)」を公表し所管庁に届出を行わなければなりません。*8
中堅企業・全企業向けの税制にも控除上限額(法人税額の20%まで)や追加要件が定められており、単に賃金を上げれば自動で減税されるわけではなく細かな条件確認と申告手続きが必要です。
中小企業の場合でも、適用可否の判定には前年度比の給与総額を算出し、1.5%以上増加しているかをチェックする必要があります。
さらに5%増・10%増といった上乗せ要件を満たせば控除率が上がるため、自社がどのラインまで達成できそうかシミュレーションしなければなりません。*9
賃上げ税制のもう一つのデメリットは、 要件を満たせなかった場合にメリットが得られず、コスト増だけが残るリスクがあることです。
たとえば、当初計画していた賃上げ率にわずかに届かなかったために適用が受けられなかったケースもあります。
実際「あと数万円給与支給額を増やしていれば数百万円の税額控除が取れたのに…」という事例が報告されており、条件を僅かに満たさないだけで大きな減税チャンスを逃してしまう可能性があります。
また、賃上げ税制は法人税の納税義務がある場合にのみ意味を持つため、赤字企業や設立初年度の企業など税負担そのものがない場合は適用できません。*9
2024年度改正で控除しきれなかった額の5年間繰越が可能となりましたが、将来にわたって黒字を維持できなければ繰越控除も絵に描いた餅となります。*10
さらに、一度引き上げた給与は景気が悪化しても簡単には減らせないため、安易に賃上げを行うと将来の固定費負担増につながる点にも注意が必要です。
賃上げ税制の恩恵を受けようと無理にベースアップを実施しても、その後業績不振に陥れば人件費が重くのしかかります。
本記事では、2024年度税制改正後の最新情報を踏まえて賃上げ税制(賃上げ促進税制)の概要から利用状況、メリット・デメリットまで詳しく解説しました。
賃上げ税制は、企業が前向きに従業員給与を引き上げることを促すために設けられた税優遇制度であり、給与増加額に応じて法人税等を減額できる点が特徴です。
近年は物価高への対応や人材確保の必要性も相まって賃上げに踏み切る企業が増え、本制度の利用件数は過去最多を記録しています。
制度拡充により減税インセンティブが強化されたことも後押しとなり、企業側の賃上げ意欲と政策誘導が合致した結果といえるでしょう。
メリットとして、税負担の軽減による財務改善効果や、従業員の士気向上・定着率アップが挙げられます。特に中小企業にとっては賃上げによるコスト増を税額控除で補填できるため、思い切った給与改善策を取りやすくなる点は大きな利点です。
一方で、適用要件の確認や手続きに手間がかかること、要件を満たせない場合に減税を受けられず人件費だけが増えてしまうリスクなど、注意すべき点も存在します。
赤字の場合は恩恵がないことや、一度上げた給与は下げにくいことも踏まえ、計画的な活用が求められます。
賃上げ税制を正しく理解し、企業と従業員双方にとって有益な活用を目指しましょう。
本コラム執筆時点における情報に基づいて作成しておりますので、最新情報との乖離にご注意ください。
出典
*1 中小企業庁「中小企業向け「賃上げ促進税制」」
*2 国税庁「No.5927-2 給与等の支給額が増加した場合の法人税額の特別控除(中小企業者等における賃上げ促進税制)」
*3 エデンレッド 「【税理士監修】大企業向け賃上げ促進税制が強化!新しい賃上げ促進税制を経済産業省の資料で確認」
*4 財務省「事務局資料 (賃上げ促進税制の検証)」
*5 日本商工会議所 「賃上げ実施企業は54.9%、賃上げ理由の第1位は「人材確保・定着」(姫路商工会議所)」
*6 厚生労働省 「第3章 持続的な賃上げに向けて」
*7 朝日新聞 「賃上げや研究開発の企業向け減税 23年度は過去最大1.7兆円減収」
*8 経済産業省 「賃上げ促進税制」
*9 OBC360° 「賃上げ促進税制とは?2024年改正で中堅・中小企業が押さえるポイントをわかりやすく解説」
*10 マイナビ税理士 「賃上げ促進税制は赤字法人でも使える?2024年度(令和6年度)税制改正の内容と注意点を中小企業向けに解説」